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浜崎あゆみ

浜崎 あゆみ(はまさき あゆみ、本名:濱崎 歩〈読みは同じ〉、1978年10月2日(31歳) - )は、日本の女性ポップス歌手。福岡県福岡市出身。福岡市立原中学校卒業、堀越高等学校中退。愛称は「あゆ」や「ayu」など。英語表記は「Ayumi Hamasaki」。芸能事務所・所属レコード会社はエイベックス・エンタテインメント。血液型はA型。日本で有名な女性ポップス歌手のひとりである。人物浜崎あゆみは日本の女性ポップス歌手である。歌手デビュー後のオリジナル楽曲は全て自身で作詞している。女性歌手でありながら、歌詞の中に『私(わたし、もしくはあたし)』以外に『僕(ぼく)』を多く使い、複数を指す『~達』、『~ら』が多いことが彼女の詞の特徴である。また、自身の暗い心の闇も歌詞に綴り、男女を問わず多くの若者から共感を得た。浜崎自身もCREAとして、作曲を手がけたこともあった。また、名字の「浜崎(濱崎)」の正しい読み方は「はまざき」ではなくて「はまさき」である。犬(小型犬)好きでチワワ、ダックスフントなどを飼っている。仕事場に連れてくるのはもちろん、ライブツアーのMC中にステージに登場することもあった。『タイム』誌アジア版2002年3月25日号の表紙を飾り、2007年から初の日本国外での公演(台北、香港、上海)を含むライブツアーが本格的に行われ、東アジア地域への進出も果たしている。歌手デビュー前にボイストレーニングのために渡米しているが、デビュー当時は英語は不得意だとコメントしていたため、ほとんどの歌詞は日本語であった。しかし、2002年以降は英語詞を含めた楽曲も多く発表している。2006年12月にCNNの日本特集『Japan now』期間中に放送された対談番組『Talk Asia』では、短時間ではあったが英語を披露している。影響1998年、多くの化粧品会社、製菓メーカー等とタイアップし、テレビ・雑誌等のメディアから「浜崎あゆみ」への注目度が上がった。2000年頃にはCDの売り上げ枚数がミリオンを達成することが多々あり、また多くのCMや雑誌に出演し、総合司会を務めるテレビ番組を持っていた。マスコミなどでは「女子高生のカリスマ」と呼ばれ、彼女のファッションや奇抜な行動は女子中高生を中心に多大なる影響を及ぼし、ファッションリーダーとしてネイルアート、大きなサングラス、豹柄などの流行を生み出す社会現象となった(後にベストジーニストやネイルクイーンでは殿堂入りも果たしている)。2001年秋にはアルバムの発売が延期されたとの情報で所属レコード会社エイベックスの株価が下落するなど、エイベックスの看板歌手としての側面も注目されるようになった。また、一時は同社の売り上げの4割を占めたこともあり、同社の経営体質の弱点として「あゆ依存」という言葉も生まれた。来歴~1997年 モデルから女優・アイドルへ10代前半から地元福岡のモデル事務所に所属、当時は「浜崎くるみ」の芸名で福岡中央銀行のポスターや地元商業広告に登場。その後、東京の大手芸能プロダクションサンミュージック(現・サンミュージックプロダクション)にスカウトされた(都営地下鉄浅草線浅草駅のホームに掲示されているタレント養成所の広告には、加藤晴彦とともにこの頃の写真が掲載されていた)。1993年、テレビドラマ『ツインズ教師』で女優としてデビュー。1994年、芸名を「浜〓あゆみ『崎』の異体字『〓』」に改名し、テレビドラマや映画等に出演していた。音楽バラエティ番組で歌を披露することはあったが、アイドル色が強かった。1996年末にサンミュージックとの契約が切れ、1997年、本格的に歌手を目指すことになり、ボイストレーニングのためニューヨークへ渡った。1998年~2000年 歌手デビュー 女子高生のカリスマへ1998年4月8日発売の1stシングル「poker face」で『浜崎あゆみ』としてデビュー。1999年1月1日発売の1stアルバム『A Song for ××』でオリコンチャート1位を初獲得。約150万枚を売り上げた。4月14日発売の7thシングル「LOVE ~Destiny~ / LOVE ~since1999~」でシングル初のオリコンチャート1位を獲得。8月11日発売の10thシングル『A』が初のミリオンセラーとなった。12月31日、NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。2000年4月より初めてのコンサートツアーに挑むも、左耳の疾患(内耳性突発難聴)により一部の公演を延期した。11月、全日本有線放送大賞でグランプリを受賞。以降、2001年と2002年のALL JAPANリクエストアワード、2003年のベストヒット歌謡祭でもグランプリを受賞し、4連覇を達成している。12月13日発売の19thシングル「M」では、CREAとして初めて作曲を手掛けた。12月31日に、初のカウントダウンライブを開催する。2001年~2003年 A BEST発売 レコード大賞3連覇2001年3月28日、自身初のベストアルバム『A BEST』を発売。宇多田ヒカルのアルバム『Distance』との同日発売が注目を集めた。夏には東京、大阪、名古屋、福岡の4大ドームツアーを行った。9月27日発売の24thシングル「Dearest」で日本レコード大賞受賞(以降2002年、2003年で史上初の3連覇を果たす)。また9月にはTOKIOの長瀬智也との交際が明らかになった。2002年4月24日発売の26thシングル「Free & Easy」は雑誌『Free & Easy』とコラボレーション企画であり、同時に同雑誌の別刊「浜崎共和国」を発売する。7月24日発売の27thシングル「H」が、日本のシングルCDの売り上げが全体的に低迷しはじめた2002年において唯一、オリコン・日本レコード協会のでのシングルミリオンセラーを記録した。9月26日発売の28thシングル「Voyage」に合わせて短編映画「月に沈む」(監督:行定勲)が公開。10月12日、初のレギュラー及び総合司会を務める番組「ayu ready?」がスタートした。2003年3月12日発売のバラードベスト『A BALLADS』ではファン投票により選曲された。また、5thアルバム『RAINBOW』の初回盤購入者がインターネット上のみで聴くことができたインスト楽曲に、10万人以上のメッセージを読んだ、浜崎あゆみ自身が詞をつけて完成させた「RAINBOW」が収録された。10月、シングル30枚発売記念スペシャルライブ『A museum ~30th single collection live~』が行われた。12月17日、初のミニアルバム『Memorial address』を発売する。Bonus Track以外の収録曲全てに対しプロモーションビデオが作られるなど、この頃からプロモーションビデオにも力を入れるようになった。2004年~2006年 エイベックスお家騒動 歌手業専念期2004年3月20日、総合司会を務めていた番組「ayu ready?」の放送が終了した。この頃からCM等のキャラクターの多くを降板し、歌手業に専念している。爆発的なヒットはないものの、CDの売上枚数は安定していた。7月末、エイベックスお家騒動が起こる(→諸騒動、エイベックス参照)。2006年6月21日に発売された40thシングル「BLUE BIRD」ではソロ歌手および女性ボーカルでは史上初のシングル総売上2,000万枚を達成する(総売上2,000万枚を達成しているのは他にB'z、サザンオールスターズ、Mr.Children、SMAPの4組のみ)。この年のNHK紅白歌合戦では11月29日に発売された8thアルバム『Secret』より「JEWEL」を選曲し、初めてアルバム曲を披露することになった。2007年~現在 A BEST 2発売 歌手デビュー10周年2007年2月28日、『A BEST 2 -BLACK-』『A BEST 2 WHITE-』が発売された。オリコン・チャート1位および2位を初登場で独占。この記録は女性アーティストとしては1970年の藤圭子の記録以来36年ぶりの記録であった。7月18日発売の41stシングル「glitter/fated」のDVDには香港の俳優・余文樂(ショーン・ユー)と共演したショートフィルムが収録。また、発売日直前の7月13日、長らく交際していた長瀬智也と破局した事を自身のファンクラブのブログで発表した。12月5日には、初のデジタル・ダウンロード規格のみシングル「Together When...」を発表。2008年1月4日、自身のファンクラブのブログにおいて、以前から抱えていた左耳の疾患(内耳性突発難聴)が悪化し、左耳の聴覚が失われもう治らなくなったことを告白した。4月8日にデビュー10周年記念を迎え、それを記念してシングル・コレクション・アルバム『A COMPLETE ~ALL SINGLES~』発売等、10周年記念の活動を行った。12月24日、過労による貧血で高所から落下。右手に全治3週間の重傷になり出演予定だった音楽番組の出演を急遽辞退。その後の自身のカウントダウンライブや初のトップバッターで登場するNHK紅白歌合戦の出演も危ぶまれたが、緊急手術後、医者の条件付出演を行った[1]。2009年3月25日発売の10thアルバム『NEXT LEVEL』では、日本人アーティストとしては初となるUSBメモリ形態を発売した。内耳性突発難聴2000年、初のコンサートツアーの第二幕直前に多忙なスケジュールの積み重ね等の理由によって、左耳の疾患(内耳性突発難聴)を患い、一部公演を延期した。医者からは「すぐ治療にとりかかるべきだ」と告げられていたが、ツアーを強行した。後に左耳の聴覚が弱くなる後遺症を負ったことを公表した。その後も定期健診は受けるが、治療のための休養をとらなかった。そのため、2007年末頃には医者から「治療の術はない」と、左耳の聴覚が完全に失われ治らなくなったことを告白していた。諸騒動暴言騒動2002年1月末、インターネット掲示板を発端として、ライブ会場で「浜崎あゆみが身障者の少女を罵倒した」という動画付きの噂が流れた。新聞報道にまで拡大し[2][3][4]、公式サイトやファンHPが荒らしに遭った。avexの会長兼社長(当時)の依田巽からも声明文を発表。一方、本人の謝罪文でなかったことなどから大炎上に繋がる。しかし、後に言われたとされている少女側のコメントは公になかった[5]。雑誌「Free & Easy」とのコラボレーション雑誌『浜崎共和国』において「自分がデマを撒かれたことよりも、そのデマにファンが迷ったり辛い思いをしたのなら、その方がよっぽど辛い」とのコメントを発表している。なお、この事件の影響でこの年の『ayumi hamasaki ARENA TOUR 2002 A』ではスポンサーがつかない事態となり(浜崎のライブでスポンサーがつかなかったのはこの時のみである)、2003年1月に発売された問題の『ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2001-2002 A』のDVDはアンコールがほぼ丸ごと(ラストの「Endless Sorrow "gone with the wind ver."」以外)カットされてしまった。エイベックスお家騒動2004年7月30日、当時エイベックス専務の松浦勝人は、会長であった依田巽と経営方針が決裂し別会社を設立することを表明した[6]。その直後、浜崎自身もマスコミに対し「彼の存続と共に浜崎あゆみの行方も決めさせて頂きたいと思っております。」と歌手デビューの際に世話になり自身のプロデューサーである松浦に追従し移籍する考えを明らかにした。当時、エイベックスの事実上の代表アーティストであった浜崎の表明が決定的な打撃となり、株は暴落、株主からの抗議が殺到し、また、エイベックス社内は混乱に陥った。8月3日、浜崎の表明を大きく受け、経営陣は方向転換を余儀なくされ、松浦は執行役員として復帰(後に社長就任)し、移籍の懸念等は解消された[7]。このお家騒動を理由にこの年の日本レコード大賞など一連の賞レースを辞退し、以降賞レースからは距離を置くようになる。作品「浜崎あゆみのディスコグラフィ」を参照受賞記録音楽賞日本レコード大賞大賞 (2001年「Dearest」、2002年「Voyage」、2003年「No way to say」)日本ゴールドディスク大賞アーティスト・オブ・ザイヤー(2001年、2002年、2004年)日本有線大賞大賞(2001年、2002年)全日本有線放送大賞→ALL JAPANリクエストアワード→ベストヒット歌謡祭グランプリ(2000年、2001年、2002年〈ポップス部門〉、2003年〈ポップス部門〉)その他NHK紅白歌合戦連続出場:10回(1999年~、後述)ベストドレッサー賞(2000年)ベストジーニスト一般選出部門(2000年、2001年、2003年~2005年) 木村拓哉、草〓剛に続いて3人目、女性では初の殿堂入り。ネイルクィーン(2001年~2003年)殿堂入り。他多数。NHK紅白歌合戦出場歴出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。ライブ(イベント含む)「A」はすべてロゴ表記バックバンドメンバー(2008年11月時点)音楽監修:小林信吾ドラム:江口信夫ベース:エンリケギター:野村義男キーボード:友成好宏、宮崎裕介コーラス:濱田美和子、山崎陽子出演作品テレビayu ready?(フジテレビ)(2002年~2004年)スーパーテレビ情報最前線(日本テレビ) 「噂の歌手の正体見た浜崎あゆみ…光と影」(2000年)「浜崎あゆみ…光と影 25歳の絶望と決断」(2004年)以下、浜崎くるみ名義ツインズ教師(1993年、 テレビ朝日ドラマ)バトルスピリッツ 龍虎の拳(1993年、フジテレビ単発アニメ)ユリ・サカザキ役(声優)[11]以下、浜〓あゆみ名義未成年(1995年、 TBSドラマ)田畑瞳 役火曜サスペンス劇場「名無しの探偵シリーズ11・ガラスの少女」(1995年、日本テレビ。2008年 BS日テレで再放送)土曜ワイド劇場「少女Aの殺人・女子高校生が父に殺意を抱く時…スキャンダルが名門校を揺らす!」(1996年、テレビ朝日)高杉いずみ 役闇のパープル・アイ(1996年、テレビ朝日ドラマ)森島由佳 役土曜ワイド劇場「同居人カップルの殺人推理旅行4・嘘をつく女 熊本阿蘇~財産を狙って欲望が渦巻く」(1996年、テレビ朝日)野村舞 役きっと誰かに出会うために第9回(1996年、テレビ東京)ラジオ浜崎あゆみのオールナイトニッポン(ニッポン放送)映画すべて、浜〓あゆみ名義すももももも(1995年、パル企画)麗霆”子!! 総長最後の日(1995年、パル企画)渚のシンドバッド(1995年、東宝)学校II(1996年、松竹)湘南爆走族 帰ってきた伝説の5人(1997年、徳間ジャパンコミュニケーションズ)TVCM他。脚注^ "右手手術の浜崎あゆみ、カウントダウンライブ及びNHK紅白出場へ". オリコン (12月29日). 2009年3月30日 閲覧。^ OP編原田 (2002-02-05). "浜崎あゆみ ネット上の噂を否定". OOPSニュース. 2008年11月9日 閲覧。^ 「浜崎あゆみ 差別発言 騒動で糸井重里氏がHPで代弁」サンケイスポーツ、2002年2月14日。^ 「あゆ暴言」東京スポーツ、2002年2月25日。^ 日経BP出版センター『日経エンタテイメント!』2002年8月号。^ エイベックス株式会社 (2004-08-01). "avex group プレスリリース 当社人事に関する重要なお知らせ(速報)". 2008年11月9日 閲覧。^ エイベックス株式会社 (2004-08-03). "avex group プレスリリース 辞任取締役の復帰に関するお知らせ". 2008年11月9日 閲覧。^ 6月21日・22日公演は延期された^ この年のカウントダウンライブはツアーに含まれた。^ 8月30日、31日公演のみ出演。^ 後に発売されたDVDでは権利等の問題からか、別の声優のものと差し替えられている。外部リンクウィキメディア・コモンズには、浜崎あゆみに関連するマルチメディアがあります。ayumi hamasaki official site 公式サイトayumi hamasaki official fanclub "Team Ayu" 公式ファンクラブサイト 「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E5%B4%8E%E3%81%82%E3%82%86%E3%81%BF」より作成カテゴリ: 編集半保護中の記事 | 浜崎あゆみ | 日本の歌手 | エイベックス | 過去のサンミュージック所属者 | 障害を持つ人物 | 日本の作詞家 | 日本のアイドル | オリコン年間シングルチャート1位獲得アーティスト | NHK紅白歌合戦出演者 | 日本レコード大賞受賞者 | 日本の俳優 | 1978年生 | 福岡市出身の人物 | 存命人物浜崎 あゆみ(はまさき あゆみ、本名:濱崎 歩〈読みは同じ〉、1978年10月2日(31歳) - )は、日本の女性ポップス歌手。福岡県福岡市出身。福岡市立原中学校卒業、堀越高等学校中退。愛称は「あゆ」や「ayu」など。英語表記は「Ayumi Hamasaki」。芸能事務所・所属レコード会社はエイベックス・エンタテインメント。血液型はA型。日本で有名な女性ポップス歌手のひとりである。人物浜崎あゆみは日本の女性ポップス歌手である。歌手デビュー後のオリジナル楽曲は全て自身で作詞している。女性歌手でありながら、歌詞の中に『私(わたし、もしくはあたし)』以外に『僕(ぼく)』を多く使い、複数を指す『~達』、『~ら』が多いことが彼女の詞の特徴である。また、自身の暗い心の闇も歌詞に綴り、男女を問わず多くの若者から共感を得た。浜崎自身もCREAとして、作曲を手がけたこともあった。また、名字の「浜崎(濱崎)」の正しい読み方は「はまざき」ではなくて「はまさき」である。犬(小型犬)好きでチワワ、ダックスフントなどを飼っている。仕事場に連れてくるのはもちろん、ライブツアーのMC中にステージに登場することもあった。『タイム』誌アジア版2002年3月25日号の表紙を飾り、2007年から初の日本国外での公演(台北、香港、上海)を含むライブツアーが本格的に行われ、東アジア地域への進出も果たしている。歌手デビュー前にボイストレーニングのために渡米しているが、デビュー当時は英語は不得意だとコメントしていたため、ほとんどの歌詞は日本語であった。しかし、2002年以降は英語詞を含めた楽曲も多く発表している。2006年12月にCNNの日本特集『Japan now』期間中に放送された対談番組『Talk Asia』では、短時間ではあったが英語を披露している。影響1998年、多くの化粧品会社、製菓メーカー等とタイアップし、テレビ・雑誌等のメディアから「浜崎あゆみ」への注目度が上がった。2000年頃にはCDの売り上げ枚数がミリオンを達成することが多々あり、また多くのCMや雑誌に出演し、総合司会を務めるテレビ番組を持っていた。マスコミなどでは「女子高生のカリスマ」と呼ばれ、彼女のファッションや奇抜な行動は女子中高生を中心に多大なる影響を及ぼし、ファッションリーダーとしてネイルアート、大きなサングラス、豹柄などの流行を生み出す社会現象となった(後にベストジーニストやネイルクイーンでは殿堂入りも果たしている)。2001年秋にはアルバムの発売が延期されたとの情報で所属レコード会社エイベックスの株価が下落するなど、エイベックスの看板歌手としての側面も注目されるようになった。また、一時は同社の売り上げの4割を占めたこともあり、同社の経営体質の弱点として「あゆ依存」という言葉も生まれた。来歴~1997年 モデルから女優・アイドルへ10代前半から地元福岡のモデル事務所に所属、当時は「浜崎くるみ」の芸名で福岡中央銀行のポスターや地元商業広告に登場。その後、東京の大手芸能プロダクションサンミュージック(現・サンミュージックプロダクション)にスカウトされた(都営地下鉄浅草線浅草駅のホームに掲示されているタレント養成所の広告には、加藤晴彦とともにこの頃の写真が掲載されていた)。1993年、テレビドラマ『ツインズ教師』で女優としてデビュー。1994年、芸名を「浜〓あゆみ『崎』の異体字『〓』」に改名し、テレビドラマや映画等に出演していた。音楽バラエティ番組で歌を披露することはあったが、アイドル色が強かった。1996年末にサンミュージックとの契約が切れ、1997年、本格的に歌手を目指すことになり、ボイストレーニングのためニューヨークへ渡った。1998年~2000年 歌手デビュー 女子高生のカリスマへ1998年4月8日発売の1stシングル「poker face」で『浜崎あゆみ』としてデビュー。1999年1月1日発売の1stアルバム『A Song for ××』でオリコンチャート1位を初獲得。約150万枚を売り上げた。4月14日発売の7thシングル「LOVE ~Destiny~ / LOVE ~since1999~」でシングル初のオリコンチャート1位を獲得。8月11日発売の10thシングル『A』が初のミリオンセラーとなった。12月31日、NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。2000年4月より初めてのコンサートツアーに挑むも、左耳の疾患(内耳性突発難聴)により一部の公演を延期した。11月、全日本有線放送大賞でグランプリを受賞。以降、2001年と2002年のALL JAPANリクエストアワード、2003年のベストヒット歌謡祭でもグランプリを受賞し、4連覇を達成している。12月13日発売の19thシングル「M」では、CREAとして初めて作曲を手掛けた。12月31日に、初のカウントダウンライブを開催する。2001年~2003年 A BEST発売 レコード大賞3連覇2001年3月28日、自身初のベストアルバム『A BEST』を発売。宇多田ヒカルのアルバム『Distance』との同日発売が注目を集めた。夏には東京、大阪、名古屋、福岡の4大ドームツアーを行った。9月27日発売の24thシングル「Dearest」で日本レコード大賞受賞(以降2002年、2003年で史上初の3連覇を果たす)。また9月にはTOKIOの長瀬智也との交際が明らかになった。2002年4月24日発売の26thシングル「Free & Easy」は雑誌『Free & Easy』とコラボレーション企画であり、同時に同雑誌の別刊「浜崎共和国」を発売する。7月24日発売の27thシングル「H」が、日本のシングルCDの売り上げが全体的に低迷しはじめた2002年において唯一、オリコン・日本レコード協会のでのシングルミリオンセラーを記録した。9月26日発売の28thシングル「Voyage」に合わせて短編映画「月に沈む」(監督:行定勲)が公開。10月12日、初のレギュラー及び総合司会を務める番組「ayu ready?」がスタートした。2003年3月12日発売のバラードベスト『A BALLADS』ではファン投票により選曲された。また、5thアルバム『RAINBOW』の初回盤購入者がインターネット上のみで聴くことができたインスト楽曲に、10万人以上のメッセージを読んだ、浜崎あゆみ自身が詞をつけて完成させた「RAINBOW」が収録された。10月、シングル30枚発売記念スペシャルライブ『A museum ~30th single collection live~』が行われた。12月17日、初のミニアルバム『Memorial address』を発売する。Bonus Track以外の収録曲全てに対しプロモーションビデオが作られるなど、この頃からプロモーションビデオにも力を入れるようになった。2004年~2006年 エイベックスお家騒動 歌手業専念期2004年3月20日、総合司会を務めていた番組「ayu ready?」の放送が終了した。この頃からCM等のキャラクターの多くを降板し、歌手業に専念している。爆発的なヒットはないものの、CDの売上枚数は安定していた。7月末、エイベックスお家騒動が起こる(→諸騒動、エイベックス参照)。2006年6月21日に発売された40thシングル「BLUE BIRD」ではソロ歌手および女性ボーカルでは史上初のシングル総売上2,000万枚を達成する(総売上2,000万枚を達成しているのは他にB'z、サザンオールスターズ、Mr.Children、SMAPの4組のみ)。この年のNHK紅白歌合戦では11月29日に発売された8thアルバム『Secret』より「JEWEL」を選曲し、初めてアルバム曲を披露することになった。2007年~現在 A BEST 2発売 歌手デビュー10周年2007年2月28日、『A BEST 2 -BLACK-』『A BEST 2 WHITE-』が発売された。オリコン・チャート1位および2位を初登場で独占。この記録は女性アーティストとしては1970年の藤圭子の記録以来36年ぶりの記録であった。7月18日発売の41stシングル「glitter/fated」のDVDには香港の俳優・余文樂(ショーン・ユー)と共演したショートフィルムが収録。また、発売日直前の7月13日、長らく交際していた長瀬智也と破局した事を自身のファンクラブのブログで発表した。12月5日には、初のデジタル・ダウンロード規格のみシングル「Together When...」を発表。2008年1月4日、自身のファンクラブのブログにおいて、以前から抱えていた左耳の疾患(内耳性突発難聴)が悪化し、左耳の聴覚が失われもう治らなくなったことを告白した。4月8日にデビュー10周年記念を迎え、それを記念してシングル・コレクション・アルバム『A COMPLETE ~ALL SINGLES~』発売等、10周年記念の活動を行った。12月24日、過労による貧血で高所から落下。右手に全治3週間の重傷になり出演予定だった音楽番組の出演を急遽辞退。その後の自身のカウントダウンライブや初のトップバッターで登場するNHK紅白歌合戦の出演も危ぶまれたが、緊急手術後、医者の条件付出演を行った[1]。2009年3月25日発売の10thアルバム『NEXT LEVEL』では、日本人アーティストとしては初となるUSBメモリ形態を発売した。内耳性突発難聴2000年、初のコンサートツアーの第二幕直前に多忙なスケジュールの積み重ね等の理由によって、左耳の疾患(内耳性突発難聴)を患い、一部公演を延期した。医者からは「すぐ治療にとりかかるべきだ」と告げられていたが、ツアーを強行した。後に左耳の聴覚が弱くなる後遺症を負ったことを公表した。その後も定期健診は受けるが、治療のための休養をとらなかった。そのため、2007年末頃には医者から「治療の術はない」と、左耳の聴覚が完全に失われ治らなくなったことを告白していた。諸騒動暴言騒動2002年1月末、インターネット掲示板を発端として、ライブ会場で「浜崎あゆみが身障者の少女を罵倒した」という動画付きの噂が流れた。新聞報道にまで拡大し[2][3][4]、公式サイトやファンHPが荒らしに遭った。avexの会長兼社長(当時)の依田巽からも声明文を発表。一方、本人の謝罪文でなかったことなどから大炎上に繋がる。しかし、後に言われたとされている少女側のコメントは公になかった[5]。雑誌「Free & Easy」とのコラボレーション雑誌『浜崎共和国』において「自分がデマを撒かれたことよりも、そのデマにファンが迷ったり辛い思いをしたのなら、その方がよっぽど辛い」とのコメントを発表している。なお、この事件の影響でこの年の『ayumi hamasaki ARENA TOUR 2002 A』ではスポンサーがつかない事態となり(浜崎のライブでスポンサーがつかなかったのはこの時のみである)、2003年1月に発売された問題の『ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2001-2002 A』のDVDはアンコールがほぼ丸ごと(ラストの「Endless Sorrow "gone with the wind ver."」以外)カットされてしまった。エイベックスお家騒動2004年7月30日、当時エイベックス専務の松浦勝人は、会長であった依田巽と経営方針が決裂し別会社を設立することを表明した[6]。その直後、浜崎自身もマスコミに対し「彼の存続と共に浜崎あゆみの行方も決めさせて頂きたいと思っております。」と歌手デビューの際に世話になり自身のプロデューサーである松浦に追従し移籍する考えを明らかにした。当時、エイベックスの事実上の代表アーティストであった浜崎の表明が決定的な打撃となり、株は暴落、株主からの抗議が殺到し、また、エイベックス社内は混乱に陥った。8月3日、浜崎の表明を大きく受け、経営陣は方向転換を余儀なくされ、松浦は執行役員として復帰(後に社長就任)し、移籍の懸念等は解消された[7]。このお家騒動を理由にこの年の日本レコード大賞など一連の賞レースを辞退し、以降賞レースからは距離を置くようになる。作品「浜崎あゆみのディスコグラフィ」を参照受賞記録音楽賞日本レコード大賞大賞 (2001年「Dearest」、2002年「Voyage」、2003年「No way to say」)日本ゴールドディスク大賞アーティスト・オブ・ザイヤー(2001年、2002年、2004年)日本有線大賞大賞(2001年、2002年)全日本有線放送大賞→ALL JAPANリクエストアワード→ベストヒット歌謡祭グランプリ(2000年、2001年、2002年〈ポップス部門〉、2003年〈ポップス部門〉)その他NHK紅白歌合戦連続出場:10回(1999年~、後述)ベストドレッサー賞(2000年)ベストジーニスト一般選出部門(2000年、2001年、2003年~2005年) 木村拓哉、草〓剛に続いて3人目、女性では初の殿堂入り。ネイルクィーン(2001年~2003年)殿堂入り。他多数。NHK紅白歌合戦出場歴出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。ライブ(イベント含む)「A」はすべてロゴ表記バックバンドメンバー(2008年11月時点)音楽監修:小林信吾ドラム:江口信夫ベース:エンリケギター:野村義男キーボード:友成好宏、宮崎裕介コーラス:濱田美和子、山崎陽子出演作品テレビayu ready?(フジテレビ)(2002年~2004年)スーパーテレビ情報最前線(日本テレビ) 「噂の歌手の正体見た浜崎あゆみ…光と影」(2000年)「浜崎あゆみ…光と影 25歳の絶望と決断」(2004年)以下、浜崎くるみ名義ツインズ教師(1993年、 テレビ朝日ドラマ)バトルスピリッツ 龍虎の拳(1993年、フジテレビ単発アニメ)ユリ・サカザキ役(声優)[11]以下、浜〓あゆみ名義未成年(1995年、 TBSドラマ)田畑瞳 役火曜サスペンス劇場「名無しの探偵シリーズ11・ガラスの少女」(1995年、日本テレビ。2008年 BS日テレで再放送)土曜ワイド劇場「少女Aの殺人・女子高校生が父に殺意を抱く時…スキャンダルが名門校を揺らす!」(1996年、テレビ朝日)高杉いずみ 役闇のパープル・アイ(1996年、テレビ朝日ドラマ)森島由佳 役土曜ワイド劇場「同居人カップルの殺人推理旅行4・嘘をつく女 熊本阿蘇~財産を狙って欲望が渦巻く」(1996年、テレビ朝日)野村舞 役きっと誰かに出会うために第9回(1996年、テレビ東京)ラジオ浜崎あゆみのオールナイトニッポン(ニッポン放送)映画すべて、浜〓あゆみ名義すももももも(1995年、パル企画)麗霆”子!! 総長最後の日(1995年、パル企画)渚のシンドバッド(1995年、東宝)学校II(1996年、松竹)湘南爆走族 帰ってきた伝説の5人(1997年、徳間ジャパンコミュニケーションズ)TVCM他。脚注^ "右手手術の浜崎あゆみ、カウントダウンライブ及びNHK紅白出場へ". オリコン (12月29日). 2009年3月30日 閲覧。^ OP編原田 (2002-02-05). "浜崎あゆみ ネット上の噂を否定". OOPSニュース. 2008年11月9日 閲覧。^ 「浜崎あゆみ 差別発言 騒動で糸井重里氏がHPで代弁」サンケイスポーツ、2002年2月14日。^ 「あゆ暴言」東京スポーツ、2002年2月25日。^ 日経BP出版センター『日経エンタテイメント!』2002年8月号。^ エイベックス株式会社 (2004-08-01). "avex group プレスリリース 当社人事に関する重要なお知らせ(速報)". 2008年11月9日 閲覧。^ エイベックス株式会社 (2004-08-03). "avex group プレスリリース 辞任取締役の復帰に関するお知らせ". 2008年11月9日 閲覧。^ 6月21日・22日公演は延期された^ この年のカウントダウンライブはツアーに含まれた。^ 8月30日、31日公演のみ出演。^ 後に発売されたDVDでは権利等の問題からか、別の声優のものと差し替えられている。外部リンクウィキメディア・コモンズには、浜崎あゆみに関連するマルチメディアがあります。ayumi hamasaki official site 公式サイトayumi hamasaki official fanclub "Team Ayu" 公式ファンクラブサイト 「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E5%B4%8E%E3%81%82%E3%82%86%E3%81%BF」より作成カテゴリ: 編集半保護中の記事 | 浜崎あゆみ | 日本の歌手 | エイベックス | 過去のサンミュージック所属者 | 障害を持つ人物 | 日本の作詞家 | 日本のアイドル | オリコン年間シングルチャート1位獲得アーティスト | NHK紅白歌合戦出演者 | 日本レコード大賞受賞者 | 日本の俳優 | 1978年生 | 福岡市出身の人物 | 存命人物

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