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<首相偽装献金>元政策秘書を略式起訴へ 過失認める供述(毎日新聞)

 鳩山由紀夫首相の資金管理団体「友愛政経懇話会」を巡る偽装献金問題で、東京地検特捜部は、会計責任者だった元政策秘書を政治資金規正法違反(重大な過失)で略式起訴する方針を固めた模様だ。これまでの事情聴取に「偽装献金は知らなかった」と関与を否定してきたとされるが、一転して「重大な過失」があったことを認めたとみられる。

 同法は、政治資金収支報告書の虚偽記載に直接関与しなくても、重大な過失で虚偽記載を招いた場合は「禁固5年以下または100万円以下の罰金に処する」と定める。

 関係者によると、元政策秘書は最近になって、収支報告書の虚偽記載について、会計責任者として重大な過失があったことを認める供述をしたという。特捜部はいったんは名目上の責任者に過ぎないとして容疑不十分で不起訴にする方針を固めていたが、一転して罰金刑を求めるのが相当と判断した模様だ。

 元政策秘書は現在、首相の私設秘書を務める。これまでの毎日新聞の取材に「(虚偽記載には)ノータッチだった。収支報告書を一度も見たことがない」と話し、会計実務担当の元公設第1秘書に会計処理を一任していたと説明していた。

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鳩山首相 インド到着 温暖化問題や経済連携協定で協議へ(毎日新聞)

 【ムンバイ影山哲也】鳩山由紀夫首相は27日午前、インド訪問のため、政府専用機で羽田空港を出発し、同日午後(日本時間同日夜)、ムンバイのチャトラパティ・シバジ国際空港に到着した。

 28日にインドの財界人と懇談した後、同日午後に首都ニューデリーに移動。29日にシン首相と会談し、地球温暖化問題や経済連携協定(EPA)の締結などについて協議する。30日未明に帰国する。

 首相は27日、出発に先立ち公邸前で記者団に「戦略的に軍縮、核、気候変動、経済など地球規模のさまざまな問題に関して、価値観を共有する中で議論を深めたい」と語り、関係強化に意欲を示した。

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留学生、最多の13万人=6割は中国人-学生支援機構(時事通信)

 独立行政法人日本学生支援機構は24日、国内の大学などに在籍する外国人留学生が、5月1日時点で前年同期比7.2%増の13万2720人に上ったと発表した。3年連続で増え、過去最多。中国人が全体の59.6%を占めた。
 調査は大学、短大、専修学校などが対象。大学で最も多かったのは早稲田大の3114人で、立命館アジア太平洋大の2786人、東京大2473人が続いた。出身国・地域別では中国が7万9082人、韓国が1万9605人、台湾が5332人だった。 

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山本圭子

山本 圭子(やまもと けいこ、1943年8月7日 - )は、日本の女性声優。青二プロダクション所属。大阪府出身。星座はしし座。『天才バカボン(1作目・元祖)』(バカボン)、『ゲゲゲの鬼太郎<第1期~第5期>』(砂かけ婆)、『サザエさん』(花沢さん<二代目>)、『がんばれ!!ロボコン』(ロボコン)、『ちびまる子ちゃん』(山田笑太<山田くん>、はまじの母)、『魔法陣グルグル』(魔法オババ)などのキャラクターで知られる。また、TVのナレーション等でも活躍している。人物像・エピソードダミのかかった声質を生かして、少年・少女・成人女性・おばさん・老婆・人以外のキャラクターまでほとんどの役柄をカバーする。『ゲゲゲの鬼太郎』では現在までの5作品に全て出演している。うち第2期、第4期、第5期ではレギュラーで「砂かけ婆」を演じており、事実上山本の持ち役的なキャラクターである。また、第1期(1968年)の第1話「おばけナイター」ではゲスト主人公の少年を演じたが、1985年に放送されたの第3期の「おばけナイター」でも同じ役柄の少年を演じるなど、何十年間隔で同じ役を演じるという因縁を持った。また第3期では砂かけ婆ではなく、シーサー役でレギュラー入りしている。『がんばれ!!ロボコン』のロボコンの声を演じた時には、ロボコンの人気が高く、NET(現テレビ朝日)の番組はニュース以外全部出演し、丸一日ロボコンの仕事という日もあったという。1999年制作の「燃えろ!!ロボコンVSがんばれ!!ロボコン」で22年ぶりにロボコンの声を担当した。役者間での愛称は「ドドコさん」(名前の圭の字が「ど(土)」を2つ重ねたように見えることから)。身近な人には「圭子姉さん」と呼ばれている。2代目磯野カツオ役の高橋和枝の見舞いに言った時に「高橋さん」と言っても反応しなかったが、花沢さんがカツオに言っているような口調で「磯野くん」と呼びかけたところ「はい」と返事をしたとの事である。関西出身であるためか関西弁が得意。『ひみつのアッコちゃん(第3作目)』で共演したこおろぎさとみに関西弁を教えたこともあった(こおろぎ自身が自身のラジオ番組『ひので街探偵事務所』で過去に話題にしていた)。少々うっかり者であることが知られており、駅のホームのベンチに台本を忘れたりするなどの失敗をしたことがある。特技は「どこでもいつでも眠れること」。当初「チキン・リトル」の声はゲームだけという話であったが、その声を聞いたディズニー社の人間が気に入ったことから、映画でも声を入れることになった。マネージャーはその報告を聞いて喜びの電話を送ったが、本人は「チキン・リトル」のことを忘れていたという。出演作品太字は主演テレビアニメ赤胴鈴之助1972年版(赤胴鈴之助)アタックNo.1(八木沢香)※初代アパッチ野球軍(ダイコン)ARIA The NATURAL(おばさん)アルプスの少女ハイジ(村の少年)イーグルサム(サム)一発貫太くん(三太)宇宙空母ブルーノア(船医の桜町小夜子)海のトリトン(ジェム)円卓の騎士物語 燃えろアーサー(トム)狼少年ケン(ウォーリー)おそ松くん1966年版(チョロ松)おちゃめ神物語コロコロポロン(エロース)おろしたてミュージカル 練馬大根ブラザーズ(院長)仮面の忍者 赤影(玄太)がんばれ元気(定吉の母)がんばれゴンベ(ゴンベ)キテレツ大百科(八千代、刈野ヨネ(初代)、うめ、園長)キャンディ・キャンディ(トム(少年期)、その他少年役)巨人の星(ジェニー)銀河疾風サスライガー(カーメン25世)銀河鉄道999 (少年、砂山学)※第30話・53話金田一少年の事件簿(君沢ユリエ)キン肉マン(ナチグロン、キン骨オババ)クレヨンしんちゃん(イビリダ)ゲゲゲの鬼太郎ゲゲゲの鬼太郎(1971年、1996年、2007年)(砂かけ婆)ゲゲゲの鬼太郎(1985年)(蛇骨婆、ざしきわらし、あかねの母、万年、葬頭河婆、火車)ゲゲゲの鬼太郎(1985年、2007年)(シーサー)ゲゲゲの鬼太郎(2008年)(やし落とし)金色のガッシュベル!!(リオウ)サイボーグ009(1979年)(ホンコ)サザエさん(花沢花子、アナゴの妻、マスオの母親、やまなしさん)しゅごキャラ!(冴木のぶ子)しゅごキャラ!!どきっ(冴木のぶ子)それいけ!アンパンマン(くじらのクータン、バケルくん(2代目))タイムボカンシリーズゼンダマン(ジミー)ヤットデタマン(月吉丸)戦え!オスパー(オスパー)ちびまる子ちゃん<第1期>&<第2期>(山田笑太(山田くん)、ハマジのお母さん、大石先生、前田さんのおばあちゃん 他)チンプイ(カイザー)釣りキチ三平(加瀬正治)鉄腕アトム(第1作)(マリー)鉄腕アトム 1980年版(トルー(第22話)、ルカ(第36話))デビルマン(牧

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中3女子、覚せい剤容疑で逮捕=複数の注射痕、入手経路を捜査-北海道警(時事通信)

中3女子、覚せい剤容疑で逮捕=複数の注射痕、入手経路を捜査-北海道警(時事通信)

 札幌市近郊に住む中学3年生の少女(15)が覚せい剤取締法違反(使用)容疑で、北海道警札幌東署に逮捕されていたことが16日、分かった。少女は「知人男性からもらった」と話しているといい、同署は入手経路を調べている。
 逮捕容疑は、11月から12月上旬の間に注射器を使って覚せい剤を使用した疑い。逮捕は10日。
 同署によると、12月上旬に同市東区の住民から「不審な行動をしている少女がいる」と通報を受け、駆け付けた署員が事情を聴いたところ、覚せい剤の使用を認めた。少女の腕には複数の注射痕があり、尿検査で陽性反応が出たという。 

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<道交法違反>飲酒従業員に二輪貸す…容疑の経営者を逮捕(毎日新聞)

<道交法違反>飲酒従業員に二輪貸す…容疑の経営者を逮捕(毎日新聞)

 酒を飲んでいる従業員にオートバイを貸して運転させたとして、千葉県警柏署は15日、同県柏市東3、飲食店経営、田中慶一容疑者(30)を道交法違反(車両提供)の疑いで逮捕した。逮捕容疑は、9日午前1時25分ごろ、柏市内で経営するレストラン内で、同市あかね町の従業員、山藤信和さん(29)が酒を飲んでいることを知りながら、バイクを貸したとしている。

 同署によると、当日はレストランの営業終了後、知人ら十数人を招いて田中容疑者の誕生日会を開いていた。山藤さんは借りたバイクでいったん帰宅し、店へ戻る予定だったが、約40分後に店の近くの県道交差点で街路灯に衝突し、頭などを強く打って死亡した。

 田中容疑者は容疑を認めているという。

 飲酒運転の車両提供者や酒類提供者に対する罰則は、07年9月施行の改正道交法で新設された。酒酔い運転の車両提供者は運転者と同罪とされ、5年以下の懲役、または100万円以下の罰金を科される。【西浦久雄】

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冨田勲

冨田 勲(とみた いさお、1932年4月22日 - )は、日本の作曲家、編曲家、シンセシスト、シンセサイザー音楽作家。1960年代には作曲家としてNHK番組や手塚アニメに多くの名曲を提供。この時期までは美しいメロディとシンフォニックなサウンドが特徴だったが、その後電子音楽に大きくシフト。1970年代半ば以降にリリースした一連のシンセサイザー音楽作品を初めとする数々の実績により、世界を代表するシンセサイザーアーティストの第一人者として知られている[1]。来歴医師の長男として東京に生まれ、まもなく中国へ渡り幼少時代は青島や北京で過ごす。小・中学時代は父親の実家の岡崎に住む。愛知県立岡崎高等学校から慶應義塾高等学校に編入する。経歴的には、慶應義塾大学文学部卒業の異色の作曲家といえる。実弟の冨田稔は医学博士、冨田病院院長、慶應義塾大学客員教授。勲の息子の冨田勝は慶應義塾大学医学部および環境情報学部教授。妻は往年の歌手本間千代子の姉明子。学生時代作曲は独学であったが、高校2年からは平尾貴四男、小船幸次郎に師事。大学では文学部で美学美術史を専攻、その傍らで弘田龍太郎に音楽理論を学ぶ。大学2年の時に、朝日新聞社主催の全日本合唱連盟のコンクール用課題曲募集に、合唱曲「風車(ふうしゃ)」を応募し一位となる。これにより作曲家の道を歩む決心を固め、在学中よりNHKの音楽番組の仕事をはじめ作曲活動に入る。1955年に大学を卒業する。作曲活動を開始した時代1956年のメルボルンオリンピックに参加した日本女子体操選手のための伴奏音楽の作曲や、日本コロムビアでの学校教材用のレコード、森永製菓などコマーシャル音楽の編曲を手掛け、プロの音楽家として活動を始める。NHKのテレビ番組『新日本紀行』、『きょうの料理』や大河ドラマ(池辺晋一郎と並んで最多の5作品を担当)の音楽の作曲、手塚治虫原作のTVアニメ『ジャングル大帝』、『リボンの騎士』など、放送・映画・アニメ・ドキュメンタリー・イベント・舞台・学校教材・コマーシャルソングなど、膨大な数の作品を世に送り出す。シンセサイザーとの出会い1969年、大阪万博の東芝IHIのパビリオンの音楽を録音するため大阪滞在中に、訪れた輸入レコード店で、モーグ・シンセサイザー (MOOG III-C) を全面的に用いて作成されたワルター・カーロス(現在はウェンディ・カルロス)の『スイッチト・オン・バッハ』と出会い、これこそ求めているものだと直感し、1971年秋頃、モジュラー式のモーグ・シンセサイザー(MOOG III-P)を日本で初めて個人輸入した[2]。その後、自宅にマルチトラックレコーダーも備える電子音楽スタジオを設置し、電子音による管弦楽曲の再現を試行錯誤し、数々の作品を録音した。シンセサイザー音楽作家としての活動1974年、1年4ヶ月[3]の期間を費やしたシンセサイザー音楽作品としてのデビュー・アルバム『月の光』を制作。当初は、このアルバムのリリースを日本の各レコード会社に持ちかけたが、「クラシックでもポピュラーミュージックでもないし、レコード店に置く場所がない」などという理由ですべて断られた。そのため、米RCAレコード[4]よりリリースする事となり、1975年1月18日付けのビルボード(クラシカル・チャート)で2位にランキングされた。同年、日本人として初めてグラミー賞にノミネート[5]され、逆輸入される形で日本でも知られる様になった。さらに次回作の『展覧会の絵』やその2作後の『惑星』でビルボードで1位にランキングされ[6]、以降『バッハ・ファンタジー』(1996年)まで、いずれも世界的なヒットを記録している。冨田のシンセサイザー作品群は、すべての音色づくりはもちろん、全パートの演奏と録音も冨田自身が一人で制作したもので、現在主流となるパーソナルスタジオでの音楽制作の先駆けと言える。ここで教えを受け、助手として働いた松武秀樹は、後にイエロー・マジック・オーケストラにおいて、第四のメンバーとして、シンセサイザー・マニピュレーターという役割に就いた。海外ではスティービー・ワンダーが来日した時、最も尊敬している音楽家として冨田の名前を挙げている(後に長良川でのサウンドクラウドに登場している)。マイケル・ジャクソンも来日した際、冨田のスタジオを訪問したことがあった。また、『惑星』の立体音響に深く感銘したフランシス・フォード・コッポラ監督は、映画『地獄の黙示録』の音楽を冨田に要請したが、契約の関係で実現には至らなかった経緯がある。1979年には日本武道館で、ピラミッド・サウンドによる立体音響ライブ「エレクトロ・オペラ in 武道館」(小松左京プロデュース)を開催。1980年にはジャパンレコード(現・徳間ジャパンコミュニケーションズ)の社長に就任。しかし、アーティストとしてはRVC(現・BMG JAPAN)所属のままであった(その後も徳間ジャパンからのリリースは無かった)。1984年オーストリアのリンツでドナウ川両岸の地上・川面・上空一帯を使って超立体音響を構成し、8万人の聴衆を音宇宙に包み込む壮大な野外イベント「トミタ・サウンドクラウド(音の雲)」と銘打ったコンサートを催す。以後、世界各地で展開してきたが、ドナウ川では「宇宙讃歌」、ハドソン川で「地球讃歌」、長良川で「人間讃歌」を成功させ、共感するミュージシャンと共に音楽を通じた世界平和を訴え続けてきた。1998年には、伝統楽器とオーケストラ、シンセサイザーによる『源氏物語幻想交響絵巻』を作曲。東京、ロサンゼルス、ロンドンにて初演、自ら棒を振った。2001年には、東映50周年記念作品『千年の恋 ひかる源氏物語』を作曲。同年3月には、放送事業の発展や放送文化に貢献した功績により第52回日本放送協会放送文化賞を受賞。また、東京ディズニーシー・アクアスフィアのための3面立体音響シンフォニーを手掛ける。2002年には作曲活動50周年、シンセサイザーでの音楽制作30周年の節目の年を迎えた。第26回日本アカデミー賞では、山田洋次監督の時代劇『たそがれ清兵衛』で最優秀音楽賞を受賞。2003年4月、春の叙勲では芸術・文化の分野で勲四等旭日小綬章を受章。2005年3月開催の愛・地球博(愛知万博)の公式催事である前夜祭セレモニーをプロデュースした。2007年5月には、電子楽器演奏および音楽制作における先駆的貢献と電子音楽分野の確立に貢献した功績で、第1回エレクトロニクス・アーツ浜松賞を受賞した。近年近年はこれまでのシンセサイザー・アルバムを5.1サラウンドで製作し、完結することに主眼を置いている[7]。映画では手塚治虫原作の『ブラック・ジャック ふたりの黒い医者』、山田洋次監督による『隠し剣 鬼の爪』、『武士の一分』、『母べえ』の音楽を手がける。また、2006年10月には、奥三河の霊山である鳳来寺山の鏡岩の反射音を利用した立体音響による『仏法僧に捧げるシンフォニー』を発表。2007年6・7月にはNHKの『みんなのうた』で「鳳来寺山のブッポウソウ」として放送された。また、後進の育成には特に力を注いでおり、尚美学園大学大学院教授として「冨田研究室(トミタメソッド)」を開設し、1952年以来半世紀余もの間、音楽界やメディア界の第一線で活躍した、豊富な経験を基調に若手に伝承している。トミタサウンド音作りの手法『冨田勲の世界』というアルバム(未CD化)で、音作りの一部が公開されている。 同じメロディを何十回も多重録音し、大規模な弦楽セクションの様な演奏を作り出す、というような気の遠くなるような作業によって、重厚なサウンドが作られている。「一度録音した音をコピーしてもいいのだが、一回一回手で弾いて重ねた方が音に厚みが出る」とは、同アルバムの中に記載されているコメントである。 『惑星』の冒頭のロケット発射の効果音を作る際、発射のカウントダウンの声をおもちゃのトランシーバーを通して録音し、わざとノイズが混じるようにしている。この様に、「ハイファイな音だけでなく、ローファイな音も使える」という考え方を持っている。キャラクター冨田勲の音楽では、アルバムの演奏の随所に顔を出すお馴染みの音色がある。ある作品の音色が別の作品の脇役として登場する演出が少なくない。これは、手塚漫画におけるスター・システムの手法をサウンドに取り入れたものである。冨田は試行錯誤しながら自分で作ったこれらの音色に対して、わが子のように愛着のある連中だという。主なキャラクターに、「パプペポ親父」、「口笛吹き」、「少女のハミング」、「女神のソプラノ」、「森のコーラス」等と名付けている。また、冨田が100%自在に操ることのできる専属のデスクトップ・オーケストラを、「プラズマ・シンフォニー・オーケストラ(PSO)」と表現しており、シンセのそれぞれの音色を構成するモジュールを楽団員として扱っている。主な作品NHK大河ドラマ第1作 花の生涯(1963年)第7作 天と地と(1969年)第10作 新・平家物語(1972年)第12作 勝海舟(1974年)第21作 徳川家康(1983年)ドキュメンタリー日本の素顔(1957年11月 - 1964年 NHK)現代の映像(1964年4月 - 1971年 NHK)新日本紀行(旧テーマ曲)(1963年10月 - 1969年3月 NHK)新日本紀行(新テーマ曲)(1969年4月 - 1982年3月 NHK)新日本紀行ふたたび(2005年4月 - NHK)時代劇文五捕物絵図(1967年4月 - 1968年10月 NHK)柳生十兵衛(1970年 フジテレビ)大忠臣蔵(1971年1月 - 12月 NET)無宿侍(1973年10月 - 12月 フジテレビ)唖侍 鬼一法眼(1973年10月 - 1974年3月 NTV)幡随院長兵衛(1974年4月 - 10月 MBS)座頭市物語(1974年10月 - 1975年4月 フジテレビ)ドラマ2つの橋(1962年 NHK)プロファイター(1969年1月 - 3月 日本テレビ)かあさんの四季(1972年10月 - 1973年9月 フジテレビ)だいこんの花(1970年 - 1977年 テレビ朝日)国境のない伝記(1973年 NHK)銀河テレビ小説No.11/波の塔(1973年 NHK) ※テレビドラマでシンセサイザー初使用銀河テレビ小説No.17/つらつら椿(1973年 NHK)オアシスを求めて(1985年 NHK)ザ・デイ その日~1995年・日本(1985年 - 1986年 NHK)ミツコ ~二つの世紀末(1987年 NHK)風光る剣(1997年 NHK)聖徳太子(2001年 NHK)人形劇・特撮宇宙船シリカ(1960年10月 - 1962年3月 NHK)銀河少年隊(1963年4月 - 1965年4月 NHK)空中都市008(1969年4月 - 1970年4月 NHK)キャプテンウルトラ(1967年4月 - 9月 TBS)マイティジャック(1968年4月 - 6月 フジテレビ)恐怖劇場アンバランス(1969年制作/1973年放映 フジテレビ)アニメアラビアンナイト・シンドバッドの冒険(1962年)ビッグX(1964年8月 - 1965年9月 TBS)新宝島(1965年1月 フジテレビ)ガリバーの宇宙旅行(1965年 東映動画)宇宙人ピピ(1965年4月 - 1966年3月 NHK)戦え!オスパー(1965年12月 - 1967年10月 NTV)ジャングル大帝(1965年10月 - 1967年9月 フジテレビ)リボンの騎士(1967年4月 - 1968年4月 フジテレビ)どろろ(1969年4月 - 9月 フジテレビ)千夜一夜物語(1969年)クレオパトラ(1970年)劇場版 ジャングル大帝オサムとムサシブラック・ジャック ふたりの黒い医者(2005年)そのほか、実験アニメの音楽や編曲など。ニュースニュースブリッジ(NHK)ニュースセンター9時(NHK)ニュースワイド(NHK)ニュース解説(1978年頃 NHK)FNNニュース(1979年4月 - 1984年3月 フジテレビ。ニュース番組全般で使用)7時のニュース(1986年4月 - 1988年3月 NHK)その他の番組きょうの料理(1957年11月 - NHK)きょうの健康(1967年4月 - NHK教育)70年代われらの世界(1970年 - 1975年 NHK:テーマ曲『青い地球は誰のもの』)みんなのせかい(1972年4月11日 - 1985年 NHK教育)訪問インタビュー(1982年 - 1985年 NHK 原曲:J.S.バッハ 2声のインヴェンション第13番イ長調 BWV.784)NHKスペシャル太郎の国の物語(1989年 NHK)大モンゴル(1992年 NHK)街道をゆく(1997年 - 2000年 NHK NHKスペシャル版・教育テレビ版とも)永遠のアトム 手塚治虫物語(1999年4月 テレビ東京)アジア古都物語(2002年 NHK)あの人に会いたい(2004年 - NHK教育)映画音楽警視庁物語シリーズ(1959年 - 1962年)飢餓海峡 (1965年)黒蜥蝪(1968年)座頭市と用心棒(1970年)しなの川 (1973年)ノストラダムスの大予言(1974年)夜叉ケ池(1979年)風の又三郎 ~ガラスのマント(1989年)学校シリーズ(1993年 - 2000年)千年の恋 ひかる源氏物語(2001年)たそがれ清兵衛(2002年)隠し剣 鬼の爪(2004年)武士の一分(2006年)母べえ(2008年)童謡どこまでも駆けてゆきたい (作詞:谷川俊太郎)ネコのめ (作詞:香山美子)ふうせんはプン (作詞:香山美子)ポワポワーン (作詞:谷川俊太郎 みんなのうた)むかしはえっさっさ (作詞:おうち・やすゆき)もしもしはいはい (作詞:名村宏)愉快な町の風船屋 (作詞:結城ふじを、歌:安田章子)鳳来寺山のブッポウソウ (作詞・作曲・編曲:冨田勲、歌:NHK東京児童合唱団 みんなのうた)歌謡曲てっちゃんのうた (1961年 作詞:宮崎博史、唄:松島トモコ ※「カネテツデリカフーズ」のCMソング)白いボール (1965年 作詞:鶴見正夫、唄:王貞治)レオのうた (1965年 作詞:辻真先、唄:弘田三枝子 ※『ジャングル大帝』主題歌)影を追う男 (1969年 作詞:すぎのりひこ、唄:高城丈二 ※『プロファイター』主題歌)クレオパトラの涙 (1970年 作詞:中山千夏、唄:由紀さおり ※『クレオパトラ』主題歌)坂道の教会 (1971年 作詞:八坂裕子、唄:西郷輝彦)パーティー (1973年 作詞:八坂裕子、唄:朱里エイコ)孤独におわれて (1973年 作詞:安井かずみ、唄:勝新太郎 ※『唖侍 鬼一法眼』主題歌)合唱曲風車 (1952年 作詞:渡辺阿沙爾)青い地球は誰のもの (1970年 作詞:阪田寛夫)ともしびを高くかかげて (1974年 作詞:岩谷時子)校歌愛知県岡崎市立本宿小学校校歌 (作詞:本校職員) ※冨田の母校愛知県岡崎市立藤川小学校校歌 (作詞:浅岡美徳)福井県丸岡町立磯部小学校校歌 (作詞:坂本政親)埼玉県所沢市立若松小学校校歌 (作詞:はら みちを)愛知県岡崎市立東海中学校応援歌(作詞:浅井森一)愛知県岡崎市立福岡中学校校歌 (作詞:浅岡美徳)交響詩・交響組曲子どものための交響詩『ジャングル大帝』(1966年) 芸術祭奨励賞受賞作品こどものための交響詩『銀河鉄道の夜』(1972年)音楽ってたのしいな(TBSブリタニカ)の2枚組LPの2枚目片面に収録交響詩『大地に花が歌う』(1990年)源氏物語幻想交響絵巻(1998年)仏法僧に捧げるシンフォニー(2006年)ディスコグラフィー子どものための交響詩 ジャングル大帝(1966年)スイッチト・オン・ヒット&ロック(1972年)[8]月の光(1974年)展覧会の絵(1975年)火の鳥(1976年)惑星(1977年)冨田勲の世界(1977年)※シンセサイザーによる組曲『銀河鉄道の夜』収録宇宙幻想(1978年)バミューダ・トライアングル(1978年)ダフニスとクロエ(1979年)大峡谷(1982年)ドーン・コーラス(1984年)※ドーンコーラスや星からの電波の波形を音に変換し音源として使用。マインド・オブ・ユニバース(1985年)バック・トゥー・ジ・アース(1987年)蒼き狼の伝説 ~NHKスペシャル「大モンゴル」(1992年)新日本紀行~冨田勲の音楽(1994年)ナスカ幻想(1994年) 鼓童 with 冨田勲バッハ・ファンタジー(1996年)源氏物語幻想交響絵巻(2000年)21世紀への伝説史長嶋茂雄(2000年)千年の恋 ひかる源氏物語 映画サントラ(2001年)ジャングル大帝(劇場版)映画サントラブラックジャック 二人の黒い医師 映画サントラマイティジャック(テレビサントラ)リボンの騎士(テレビサントラ)ジャングル大帝(テレビサントラ)東京ディズニーシー アクアスフィア・テーマミュージック(2002年)TOMITA ON NHK(2003年)朱理エイコ パーティ(2003年)源氏物語幻想交響絵巻 DVD版(2004年)交響絵巻源氏物語十二支(2005年)鳳来寺山のブッポウソウ/新日本紀行ふたたび (2007年)響(KYO) 尺八演奏 藤原 道山 SACD録音(2008年)交響詩ジャングル大帝~白いライオンの物語~(2009年改訂版)「たそがれ清兵衛」 サントラ「街道をゆく」 サントラ映画「ノストラダムスの大予言」 サントラ映画「風の又三郎 ガラスのマント」 サントラ坂東玉三郎主演の映画「夜叉ケ池」LP サントラそのほか、万国博覧会などのテーマ曲のレコードなど。コンサート/イベントサウンドクラウド(音の雲)1984年 リンツ・ドナウ川『マインド・オブ・ザ・ユニバース』(ブルックナー音楽祭)1986年 ニューヨーク・ハドソン川『バック・トゥ・ジ・アース』(自由の女神百年祭)1988年 岐阜・長良川(ぎふ中部未来博)1988年 シドニー『オセアニアの夜明け』(オーストラリア建国200年祭)1989年 横浜『スペース・ポート横浜』(横浜港開港130周年記念)1990年 サウンドクラウド・オペラ『ヘンゼルとグレーテル』(1990年 - 1992年)1994年 京都『泉涌寺音舞台』(京都遷都1200年記念)1997年 名古屋『新マインド・オブ・ザ・ユニバース』(ナゴヤドーム落成記念)その他のコンサート1976年 ヨーロッパ・ツアー1977年 坂東玉三郎の舞台『天守物語』 日生劇場(原作: 泉鏡花)1978年 FM東京『サウンド・カーニヴァル~シンセサイザー・ランド』公開録音 郵便貯金ホール YMO初ライブ1979年 『エレクトロオペラ・イン武道館』1982年 アルス・エレクトロニカ(Ars Electronica)に初参加1985年 第27回大阪国際フェスティバル~シンセティック・コンサート『冨田勲の世界』1985年 CASIO SUPER SOUND '85(日本武道館)1991年 府中サマー・フェスティバル'911993年 福岡ドーム(現ヤフードーム)・オープニングイベント1996年 イレーヌメイヤー超幻実美術館1997年 アルス・エレクトロニカ(Ars Electronica) ミニ・サウンドクラウド1998年 交響絵巻「源氏物語」 初演 NHKホール1999年 交響絵巻「源氏物語」 ロサンゼルス公演1999年 交響絵巻「源氏物語」 ロンドン公演2001年 高島屋創業170周年記念「京・華舞台」比叡山延暦寺 根本中堂博覧会の音楽1970年 日本万国博覧会 東芝IHI館『グローバル・ビジョンのためのマルチプル・サウンズ』(MULTIPLEX SOUNDS FOR GLOBAL VISION EXPO'70)1972年 第27回鹿児島国民体育大会(太陽国体) 入場行進曲『太陽のマーチ冨田 勲(とみた いさお、1932年4月22日 - )は、日本の作曲家、編曲家、シンセシスト、シンセサイザー音楽作家。1960年代には作曲家としてNHK番組や手塚アニメに多くの名曲を提供。この時期までは美しいメロディとシンフォニックなサウンドが特徴だったが、その後電子音楽に大きくシフト。1970年代半ば以降にリリースした一連のシンセサイザー音楽作品を初めとする数々の実績により、世界を代表するシンセサイザーアーティストの第一人者として知られている[1]。来歴医師の長男として東京に生まれ、まもなく中国へ渡り幼少時代は青島や北京で過ごす。小・中学時代は父親の実家の岡崎に住む。愛知県立岡崎高等学校から慶應義塾高等学校に編入する。経歴的には、慶應義塾大学文学部卒業の異色の作曲家といえる。実弟の冨田稔は医学博士、冨田病院院長、慶應義塾大学客員教授。勲の息子の冨田勝は慶應義塾大学医学部および環境情報学部教授。妻は往年の歌手本間千代子の姉明子。学生時代作曲は独学であったが、高校2年からは平尾貴四男、小船幸次郎に師事。大学では文学部で美学美術史を専攻、その傍らで弘田龍太郎に音楽理論を学ぶ。大学2年の時に、朝日新聞社主催の全日本合唱連盟のコンクール用課題曲募集に、合唱曲「風車(ふうしゃ)」を応募し一位となる。これにより作曲家の道を歩む決心を固め、在学中よりNHKの音楽番組の仕事をはじめ作曲活動に入る。1955年に大学を卒業する。作曲活動を開始した時代1956年のメルボルンオリンピックに参加した日本女子体操選手のための伴奏音楽の作曲や、日本コロムビアでの学校教材用のレコード、森永製菓などコマーシャル音楽の編曲を手掛け、プロの音楽家として活動を始める。NHKのテレビ番組『新日本紀行』、『きょうの料理』や大河ドラマ(池辺晋一郎と並んで最多の5作品を担当)の音楽の作曲、手塚治虫原作のTVアニメ『ジャングル大帝』、『リボンの騎士』など、放送・映画・アニメ・ドキュメンタリー・イベント・舞台・学校教材・コマーシャルソングなど、膨大な数の作品を世に送り出す。シンセサイザーとの出会い1969年、大阪万博の東芝IHIのパビリオンの音楽を録音するため大阪滞在中に、訪れた輸入レコード店で、モーグ・シンセサイザー (MOOG III-C) を全面的に用いて作成されたワルター・カーロス(現在はウェンディ・カルロス)の『スイッチト・オン・バッハ』と出会い、これこそ求めているものだと直感し、1971年秋頃、モジュラー式のモーグ・シンセサイザー(MOOG III-P)を日本で初めて個人輸入した[2]。その後、自宅にマルチトラックレコーダーも備える電子音楽スタジオを設置し、電子音による管弦楽曲の再現を試行錯誤し、数々の作品を録音した。シンセサイザー音楽作家としての活動1974年、1年4ヶ月[3]の期間を費やしたシンセサイザー音楽作品としてのデビュー・アルバム『月の光』を制作。当初は、このアルバムのリリースを日本の各レコード会社に持ちかけたが、「クラシックでもポピュラーミュージックでもないし、レコード店に置く場所がない」などという理由ですべて断られた。そのため、米RCAレコード[4]よりリリースする事となり、1975年1月18日付けのビルボード(クラシカル・チャート)で2位にランキングされた。同年、日本人として初めてグラミー賞にノミネート[5]され、逆輸入される形で日本でも知られる様になった。さらに次回作の『展覧会の絵』やその2作後の『惑星』でビルボードで1位にランキングされ[6]、以降『バッハ・ファンタジー』(1996年)まで、いずれも世界的なヒットを記録している。冨田のシンセサイザー作品群は、すべての音色づくりはもちろん、全パートの演奏と録音も冨田自身が一人で制作したもので、現在主流となるパーソナルスタジオでの音楽制作の先駆けと言える。ここで教えを受け、助手として働いた松武秀樹は、後にイエロー・マジック・オーケストラにおいて、第四のメンバーとして、シンセサイザー・マニピュレーターという役割に就いた。海外ではスティービー・ワンダーが来日した時、最も尊敬している音楽家として冨田の名前を挙げている(後に長良川でのサウンドクラウドに登場している)。マイケル・ジャクソンも来日した際、冨田のスタジオを訪問したことがあった。また、『惑星』の立体音響に深く感銘したフランシス・フォード・コッポラ監督は、映画『地獄の黙示録』の音楽を冨田に要請したが、契約の関係で実現には至らなかった経緯がある。1979年には日本武道館で、ピラミッド・サウンドによる立体音響ライブ「エレクトロ・オペラ in 武道館」(小松左京プロデュース)を開催。1980年にはジャパンレコード(現・徳間ジャパンコミュニケーションズ)の社長に就任。しかし、アーティストとしてはRVC(現・BMG JAPAN)所属のままであった(その後も徳間ジャパンからのリリースは無かった)。1984年オーストリアのリンツでドナウ川両岸の地上・川面・上空一帯を使って超立体音響を構成し、8万人の聴衆を音宇宙に包み込む壮大な野外イベント「トミタ・サウンドクラウド(音の雲)」と銘打ったコンサートを催す。以後、世界各地で展開してきたが、ドナウ川では「宇宙讃歌」、ハドソン川で「地球讃歌」、長良川で「人間讃歌」を成功させ、共感するミュージシャンと共に音楽を通じた世界平和を訴え続けてきた。1998年には、伝統楽器とオーケストラ、シンセサイザーによる『源氏物語幻想交響絵巻』を作曲。東京、ロサンゼルス、ロンドンにて初演、自ら棒を振った。2001年には、東映50周年記念作品『千年の恋 ひかる源氏物語』を作曲。同年3月には、放送事業の発展や放送文化に貢献した功績により第52回日本放送協会放送文化賞を受賞。また、東京ディズニーシー・アクアスフィアのための3面立体音響シンフォニーを手掛ける。2002年には作曲活動50周年、シンセサイザーでの音楽制作30周年の節目の年を迎えた。第26回日本アカデミー賞では、山田洋次監督の時代劇『たそがれ清兵衛』で最優秀音楽賞を受賞。2003年4月、春の叙勲では芸術・文化の分野で勲四等旭日小綬章を受章。2005年3月開催の愛・地球博(愛知万博)の公式催事である前夜祭セレモニーをプロデュースした。2007年5月には、電子楽器演奏および音楽制作における先駆的貢献と電子音楽分野の確立に貢献した功績で、第1回エレクトロニクス・アーツ浜松賞を受賞した。近年近年はこれまでのシンセサイザー・アルバムを5.1サラウンドで製作し、完結することに主眼を置いている[7]。映画では手塚治虫原作の『ブラック・ジャック ふたりの黒い医者』、山田洋次監督による『隠し剣 鬼の爪』、『武士の一分』、『母べえ』の音楽を手がける。また、2006年10月には、奥三河の霊山である鳳来寺山の鏡岩の反射音を利用した立体音響による『仏法僧に捧げるシンフォニー』を発表。2007年6・7月にはNHKの『みんなのうた』で「鳳来寺山のブッポウソウ」として放送された。また、後進の育成には特に力を注いでおり、尚美学園大学大学院教授として「冨田研究室(トミタメソッド)」を開設し、1952年以来半世紀余もの間、音楽界やメディア界の第一線で活躍した、豊富な経験を基調に若手に伝承している。トミタサウンド音作りの手法『冨田勲の世界』というアルバム(未CD化)で、音作りの一部が公開されている。 同じメロディを何十回も多重録音し、大規模な弦楽セクションの様な演奏を作り出す、というような気の遠くなるような作業によって、重厚なサウンドが作られている。「一度録音した音をコピーしてもいいのだが、一回一回手で弾いて重ねた方が音に厚みが出る」とは、同アルバムの中に記載されているコメントである。 『惑星』の冒頭のロケット発射の効果音を作る際、発射のカウントダウンの声をおもちゃのトランシーバーを通して録音し、わざとノイズが混じるようにしている。この様に、「ハイファイな音だけでなく、ローファイな音も使える」という考え方を持っている。キャラクター冨田勲の音楽では、アルバムの演奏の随所に顔を出すお馴染みの音色がある。ある作品の音色が別の作品の脇役として登場する演出が少なくない。これは、手塚漫画におけるスター・システムの手法をサウンドに取り入れたものである。冨田は試行錯誤しながら自分で作ったこれらの音色に対して、わが子のように愛着のある連中だという。主なキャラクターに、「パプペポ親父」、「口笛吹き」、「少女のハミング」、「女神のソプラノ」、「森のコーラス」等と名付けている。また、冨田が100%自在に操ることのできる専属のデスクトップ・オーケストラを、「プラズマ・シンフォニー・オーケストラ(PSO)」と表現しており、シンセのそれぞれの音色を構成するモジュールを楽団員として扱っている。主な作品NHK大河ドラマ第1作 花の生涯(1963年)第7作 天と地と(1969年)第10作 新・平家物語(1972年)第12作 勝海舟(1974年)第21作 徳川家康(1983年)ドキュメンタリー日本の素顔(1957年11月 - 1964年 NHK)現代の映像(1964年4月 - 1971年 NHK)新日本紀行(旧テーマ曲)(1963年10月 - 1969年3月 NHK)新日本紀行(新テーマ曲)(1969年4月 - 1982年3月 NHK)新日本紀行ふたたび(2005年4月 - NHK)時代劇文五捕物絵図(1967年4月 - 1968年10月 NHK)柳生十兵衛(1970年 フジテレビ)大忠臣蔵(1971年1月 - 12月 NET)無宿侍(1973年10月 - 12月 フジテレビ)唖侍 鬼一法眼(1973年10月 - 1974年3月 NTV)幡随院長兵衛(1974年4月 - 10月 MBS)座頭市物語(1974年10月 - 1975年4月 フジテレビ)ドラマ2つの橋(1962年 NHK)プロファイター(1969年1月 - 3月 日本テレビ)かあさんの四季(1972年10月 - 1973年9月 フジテレビ)だいこんの花(1970年 - 1977年 テレビ朝日)国境のない伝記(1973年 NHK)銀河テレビ小説No.11/波の塔(1973年 NHK) ※テレビドラマでシンセサイザー初使用銀河テレビ小説No.17/つらつら椿(1973年 NHK)オアシスを求めて(1985年 NHK)ザ・デイ その日~1995年・日本(1985年 - 1986年 NHK)ミツコ ~二つの世紀末(1987年 NHK)風光る剣(1997年 NHK)聖徳太子(2001年 NHK)人形劇・特撮宇宙船シリカ(1960年10月 - 1962年3月 NHK)銀河少年隊(1963年4月 - 1965年4月 NHK)空中都市008(1969年4月 - 1970年4月 NHK)キャプテンウルトラ(1967年4月 - 9月 TBS)マイティジャック(1968年4月 - 6月 フジテレビ)恐怖劇場アンバランス(1969年制作/1973年放映 フジテレビ)アニメアラビアンナイト・シンドバッドの冒険(1962年)ビッグX(1964年8月 - 1965年9月 TBS)新宝島(1965年1月 フジテレビ)ガリバーの宇宙旅行(1965年 東映動画)宇宙人ピピ(1965年4月 - 1966年3月 NHK)戦え!オスパー(1965年12月 - 1967年10月 NTV)ジャングル大帝(1965年10月 - 1967年9月 フジテレビ)リボンの騎士(1967年4月 - 1968年4月 フジテレビ)どろろ(1969年4月 - 9月 フジテレビ)千夜一夜物語(1969年)クレオパトラ(1970年)劇場版 ジャングル大帝オサムとムサシブラック・ジャック ふたりの黒い医者(2005年)そのほか、実験アニメの音楽や編曲など。ニュースニュースブリッジ(NHK)ニュースセンター9時(NHK)ニュースワイド(NHK)ニュース解説(1978年頃 NHK)FNNニュース(1979年4月 - 1984年3月 フジテレビ。ニュース番組全般で使用)7時のニュース(1986年4月 - 1988年3月 NHK)その他の番組きょうの料理(1957年11月 - NHK)きょうの健康(1967年4月 - NHK教育)70年代われらの世界(1970年 - 1975年 NHK:テーマ曲『青い地球は誰のもの』)みんなのせかい(1972年4月11日 - 1985年 NHK教育)訪問インタビュー(1982年 - 1985年 NHK 原曲:J.S.バッハ 2声のインヴェンション第13番イ長調 BWV.784)NHKスペシャル太郎の国の物語(1989年 NHK)大モンゴル(1992年 NHK)街道をゆく(1997年 - 2000年 NHK NHKスペシャル版・教育テレビ版とも)永遠のアトム 手塚治虫物語(1999年4月 テレビ東京)アジア古都物語(2002年 NHK)あの人に会いたい(2004年 - NHK教育)映画音楽警視庁物語シリーズ(1959年 - 1962年)飢餓海峡 (1965年)黒蜥蝪(1968年)座頭市と用心棒(1970年)しなの川 (1973年)ノストラダムスの大予言(1974年)夜叉ケ池(1979年)風の又三郎 ~ガラスのマント(1989年)学校シリーズ(1993年 - 2000年)千年の恋 ひかる源氏物語(2001年)たそがれ清兵衛(2002年)隠し剣 鬼の爪(2004年)武士の一分(2006年)母べえ(2008年)童謡どこまでも駆けてゆきたい (作詞:谷川俊太郎)ネコのめ (作詞:香山美子)ふうせんはプン (作詞:香山美子)ポワポワーン (作詞:谷川俊太郎 みんなのうた)むかしはえっさっさ (作詞:おうち・やすゆき)もしもしはいはい (作詞:名村宏)愉快な町の風船屋 (作詞:結城ふじを、歌:安田章子)鳳来寺山のブッポウソウ (作詞・作曲・編曲:冨田勲、歌:NHK東京児童合唱団 みんなのうた)歌謡曲てっちゃんのうた (1961年 作詞:宮崎博史、唄:松島トモコ ※「カネテツデリカフーズ」のCMソング)白いボール (1965年 作詞:鶴見正夫、唄:王貞治)レオのうた (1965年 作詞:辻真先、唄:弘田三枝子 ※『ジャングル大帝』主題歌)影を追う男 (1969年 作詞:すぎのりひこ、唄:高城丈二 ※『プロファイター』主題歌)クレオパトラの涙 (1970年 作詞:中山千夏、唄:由紀さおり ※『クレオパトラ』主題歌)坂道の教会 (1971年 作詞:八坂裕子、唄:西郷輝彦)パーティー (1973年 作詞:八坂裕子、唄:朱里エイコ)孤独におわれて (1973年 作詞:安井かずみ、唄:勝新太郎 ※『唖侍 鬼一法眼』主題歌)合唱曲風車 (1952年 作詞:渡辺阿沙爾)青い地球は誰のもの (1970年 作詞:阪田寛夫)ともしびを高くかかげて (1974年 作詞:岩谷時子)校歌愛知県岡崎市立本宿小学校校歌 (作詞:本校職員) ※冨田の母校愛知県岡崎市立藤川小学校校歌 (作詞:浅岡美徳)福井県丸岡町立磯部小学校校歌 (作詞:坂本政親)埼玉県所沢市立若松小学校校歌 (作詞:はら みちを)愛知県岡崎市立東海中学校応援歌(作詞:浅井森一)愛知県岡崎市立福岡中学校校歌 (作詞:浅岡美徳)交響詩・交響組曲子どものための交響詩『ジャングル大帝』(1966年) 芸術祭奨励賞受賞作品こどものための交響詩『銀河鉄道の夜』(1972年)音楽ってたのしいな(TBSブリタニカ)の2枚組LPの2枚目片面に収録交響詩『大地に花が歌う』(1990年)源氏物語幻想交響絵巻(1998年)仏法僧に捧げるシンフォニー(2006年)ディスコグラフィー子どものための交響詩 ジャングル大帝(1966年)スイッチト・オン・ヒット&ロック(1972年)[8]月の光(1974年)展覧会の絵(1975年)火の鳥(1976年)惑星(1977年)冨田勲の世界(1977年)※シンセサイザーによる組曲『銀河鉄道の夜』収録宇宙幻想(1978年)バミューダ・トライアングル(1978年)ダフニスとクロエ(1979年)大峡谷(1982年)ドーン・コーラス(1984年)※ドーンコーラスや星からの電波の波形を音に変換し音源として使用。マインド・オブ・ユニバース(1985年)バック・トゥー・ジ・アース(1987年)蒼き狼の伝説 ~NHKスペシャル「大モンゴル」(1992年)新日本紀行~冨田勲の音楽(1994年)ナスカ幻想(1994年) 鼓童 with 冨田勲バッハ・ファンタジー(1996年)源氏物語幻想交響絵巻(2000年)21世紀への伝説史長嶋茂雄(2000年)千年の恋 ひかる源氏物語 映画サントラ(2001年)ジャングル大帝(劇場版)映画サントラブラックジャック 二人の黒い医師 映画サントラマイティジャック(テレビサントラ)リボンの騎士(テレビサントラ)ジャングル大帝(テレビサントラ)東京ディズニーシー アクアスフィア・テーマミュージック(2002年)TOMITA ON NHK(2003年)朱理エイコ パーティ(2003年)源氏物語幻想交響絵巻 DVD版(2004年)交響絵巻源氏物語十二支(2005年)鳳来寺山のブッポウソウ/新日本紀行ふたたび (2007年)響(KYO) 尺八演奏 藤原 道山 SACD録音(2008年)交響詩ジャングル大帝~白いライオンの物語~(2009年改訂版)「たそがれ清兵衛」 サントラ「街道をゆく」 サントラ映画「ノストラダムスの大予言」 サントラ映画「風の又三郎 ガラスのマント」 サントラ坂東玉三郎主演の映画「夜叉ケ池」LP サントラそのほか、万国博覧会などのテーマ曲のレコードなど。コンサート/イベントサウンドクラウド(音の雲)1984年 リンツ・ドナウ川『マインド・オブ・ザ・ユニバース』(ブルックナー音楽祭)1986年 ニューヨーク・ハドソン川『バック・トゥ・ジ・アース』(自由の女神百年祭)1988年 岐阜・長良川(ぎふ中部未来博)1988年 シドニー『オセアニアの夜明け』(オーストラリア建国200年祭)1989年 横浜『スペース・ポート横浜』(横浜港開港130周年記念)1990年 サウンドクラウド・オペラ『ヘンゼルとグレーテル』(1990年 - 1992年)1994年 京都『泉涌寺音舞台』(京都遷都1200年記念)1997年 名古屋『新マインド・オブ・ザ・ユニバース』(ナゴヤドーム落成記念)その他のコンサート1976年 ヨーロッパ・ツアー1977年 坂東玉三郎の舞台『天守物語』 日生劇場(原作: 泉鏡花)1978年 FM東京『サウンド・カーニヴァル~シンセサイザー・ランド』公開録音 郵便貯金ホール YMO初ライブ1979年 『エレクトロオペラ・イン武道館』1982年 アルス・エレクトロニカ(Ars Electronica)に初参加1985年 第27回大阪国際フェスティバル~シンセティック・コンサート『冨田勲の世界』1985年 CASIO SUPER SOUND '85(日本武道館)1991年 府中サマー・フェスティバル'911993年 福岡ドーム(現ヤフードーム)・オープニングイベント1996年 イレーヌメイヤー超幻実美術館1997年 アルス・エレクトロニカ(Ars Electronica) ミニ・サウンドクラウド1998年 交響絵巻「源氏物語」 初演 NHKホール1999年 交響絵巻「源氏物語」 ロサンゼルス公演1999年 交響絵巻「源氏物語」 ロンドン公演2001年 高島屋創業170周年記念「京・華舞台」比叡山延暦寺 根本中堂博覧会の音楽1970年 日本万国博覧会 東芝IHI館『グローバル・ビジョンのためのマルチプル・サウンズ』(MULTIPLEX SOUNDS FOR GLOBAL VISION EXPO'70)1972年 第27回鹿児島国民体育大会(太陽国体) 入場行進曲『太陽のマーチ

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浜崎 あゆみ(はまさき あゆみ、本名:濱崎 歩〈読みは同じ〉、1978年10月2日(31歳) - )は、日本の女性ポップス歌手。福岡県福岡市出身。福岡市立原中学校卒業、堀越高等学校中退。愛称は「あゆ」や「ayu」など。英語表記は「Ayumi Hamasaki」。芸能事務所・所属レコード会社はエイベックス・エンタテインメント。血液型はA型。日本で有名な女性ポップス歌手のひとりである。人物浜崎あゆみは日本の女性ポップス歌手である。歌手デビュー後のオリジナル楽曲は全て自身で作詞している。女性歌手でありながら、歌詞の中に『私(わたし、もしくはあたし)』以外に『僕(ぼく)』を多く使い、複数を指す『~達』、『~ら』が多いことが彼女の詞の特徴である。また、自身の暗い心の闇も歌詞に綴り、男女を問わず多くの若者から共感を得た。浜崎自身もCREAとして、作曲を手がけたこともあった。また、名字の「浜崎(濱崎)」の正しい読み方は「はまざき」ではなくて「はまさき」である。犬(小型犬)好きでチワワ、ダックスフントなどを飼っている。仕事場に連れてくるのはもちろん、ライブツアーのMC中にステージに登場することもあった。『タイム』誌アジア版2002年3月25日号の表紙を飾り、2007年から初の日本国外での公演(台北、香港、上海)を含むライブツアーが本格的に行われ、東アジア地域への進出も果たしている。歌手デビュー前にボイストレーニングのために渡米しているが、デビュー当時は英語は不得意だとコメントしていたため、ほとんどの歌詞は日本語であった。しかし、2002年以降は英語詞を含めた楽曲も多く発表している。2006年12月にCNNの日本特集『Japan now』期間中に放送された対談番組『Talk Asia』では、短時間ではあったが英語を披露している。影響1998年、多くの化粧品会社、製菓メーカー等とタイアップし、テレビ・雑誌等のメディアから「浜崎あゆみ」への注目度が上がった。2000年頃にはCDの売り上げ枚数がミリオンを達成することが多々あり、また多くのCMや雑誌に出演し、総合司会を務めるテレビ番組を持っていた。マスコミなどでは「女子高生のカリスマ」と呼ばれ、彼女のファッションや奇抜な行動は女子中高生を中心に多大なる影響を及ぼし、ファッションリーダーとしてネイルアート、大きなサングラス、豹柄などの流行を生み出す社会現象となった(後にベストジーニストやネイルクイーンでは殿堂入りも果たしている)。2001年秋にはアルバムの発売が延期されたとの情報で所属レコード会社エイベックスの株価が下落するなど、エイベックスの看板歌手としての側面も注目されるようになった。また、一時は同社の売り上げの4割を占めたこともあり、同社の経営体質の弱点として「あゆ依存」という言葉も生まれた。来歴~1997年 モデルから女優・アイドルへ10代前半から地元福岡のモデル事務所に所属、当時は「浜崎くるみ」の芸名で福岡中央銀行のポスターや地元商業広告に登場。その後、東京の大手芸能プロダクションサンミュージック(現・サンミュージックプロダクション)にスカウトされた(都営地下鉄浅草線浅草駅のホームに掲示されているタレント養成所の広告には、加藤晴彦とともにこの頃の写真が掲載されていた)。1993年、テレビドラマ『ツインズ教師』で女優としてデビュー。1994年、芸名を「浜〓あゆみ『崎』の異体字『〓』」に改名し、テレビドラマや映画等に出演していた。音楽バラエティ番組で歌を披露することはあったが、アイドル色が強かった。1996年末にサンミュージックとの契約が切れ、1997年、本格的に歌手を目指すことになり、ボイストレーニングのためニューヨークへ渡った。1998年~2000年 歌手デビュー 女子高生のカリスマへ1998年4月8日発売の1stシングル「poker face」で『浜崎あゆみ』としてデビュー。1999年1月1日発売の1stアルバム『A Song for ××』でオリコンチャート1位を初獲得。約150万枚を売り上げた。4月14日発売の7thシングル「LOVE ~Destiny~ / LOVE ~since1999~」でシングル初のオリコンチャート1位を獲得。8月11日発売の10thシングル『A』が初のミリオンセラーとなった。12月31日、NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。2000年4月より初めてのコンサートツアーに挑むも、左耳の疾患(内耳性突発難聴)により一部の公演を延期した。11月、全日本有線放送大賞でグランプリを受賞。以降、2001年と2002年のALL JAPANリクエストアワード、2003年のベストヒット歌謡祭でもグランプリを受賞し、4連覇を達成している。12月13日発売の19thシングル「M」では、CREAとして初めて作曲を手掛けた。12月31日に、初のカウントダウンライブを開催する。2001年~2003年 A BEST発売 レコード大賞3連覇2001年3月28日、自身初のベストアルバム『A BEST』を発売。宇多田ヒカルのアルバム『Distance』との同日発売が注目を集めた。夏には東京、大阪、名古屋、福岡の4大ドームツアーを行った。9月27日発売の24thシングル「Dearest」で日本レコード大賞受賞(以降2002年、2003年で史上初の3連覇を果たす)。また9月にはTOKIOの長瀬智也との交際が明らかになった。2002年4月24日発売の26thシングル「Free & Easy」は雑誌『Free & Easy』とコラボレーション企画であり、同時に同雑誌の別刊「浜崎共和国」を発売する。7月24日発売の27thシングル「H」が、日本のシングルCDの売り上げが全体的に低迷しはじめた2002年において唯一、オリコン・日本レコード協会のでのシングルミリオンセラーを記録した。9月26日発売の28thシングル「Voyage」に合わせて短編映画「月に沈む」(監督:行定勲)が公開。10月12日、初のレギュラー及び総合司会を務める番組「ayu ready?」がスタートした。2003年3月12日発売のバラードベスト『A BALLADS』ではファン投票により選曲された。また、5thアルバム『RAINBOW』の初回盤購入者がインターネット上のみで聴くことができたインスト楽曲に、10万人以上のメッセージを読んだ、浜崎あゆみ自身が詞をつけて完成させた「RAINBOW」が収録された。10月、シングル30枚発売記念スペシャルライブ『A museum ~30th single collection live~』が行われた。12月17日、初のミニアルバム『Memorial address』を発売する。Bonus Track以外の収録曲全てに対しプロモーションビデオが作られるなど、この頃からプロモーションビデオにも力を入れるようになった。2004年~2006年 エイベックスお家騒動 歌手業専念期2004年3月20日、総合司会を務めていた番組「ayu ready?」の放送が終了した。この頃からCM等のキャラクターの多くを降板し、歌手業に専念している。爆発的なヒットはないものの、CDの売上枚数は安定していた。7月末、エイベックスお家騒動が起こる(→諸騒動、エイベックス参照)。2006年6月21日に発売された40thシングル「BLUE BIRD」ではソロ歌手および女性ボーカルでは史上初のシングル総売上2,000万枚を達成する(総売上2,000万枚を達成しているのは他にB'z、サザンオールスターズ、Mr.Children、SMAPの4組のみ)。この年のNHK紅白歌合戦では11月29日に発売された8thアルバム『Secret』より「JEWEL」を選曲し、初めてアルバム曲を披露することになった。2007年~現在 A BEST 2発売 歌手デビュー10周年2007年2月28日、『A BEST 2 -BLACK-』『A BEST 2 WHITE-』が発売された。オリコン・チャート1位および2位を初登場で独占。この記録は女性アーティストとしては1970年の藤圭子の記録以来36年ぶりの記録であった。7月18日発売の41stシングル「glitter/fated」のDVDには香港の俳優・余文樂(ショーン・ユー)と共演したショートフィルムが収録。また、発売日直前の7月13日、長らく交際していた長瀬智也と破局した事を自身のファンクラブのブログで発表した。12月5日には、初のデジタル・ダウンロード規格のみシングル「Together When...」を発表。2008年1月4日、自身のファンクラブのブログにおいて、以前から抱えていた左耳の疾患(内耳性突発難聴)が悪化し、左耳の聴覚が失われもう治らなくなったことを告白した。4月8日にデビュー10周年記念を迎え、それを記念してシングル・コレクション・アルバム『A COMPLETE ~ALL SINGLES~』発売等、10周年記念の活動を行った。12月24日、過労による貧血で高所から落下。右手に全治3週間の重傷になり出演予定だった音楽番組の出演を急遽辞退。その後の自身のカウントダウンライブや初のトップバッターで登場するNHK紅白歌合戦の出演も危ぶまれたが、緊急手術後、医者の条件付出演を行った[1]。2009年3月25日発売の10thアルバム『NEXT LEVEL』では、日本人アーティストとしては初となるUSBメモリ形態を発売した。内耳性突発難聴2000年、初のコンサートツアーの第二幕直前に多忙なスケジュールの積み重ね等の理由によって、左耳の疾患(内耳性突発難聴)を患い、一部公演を延期した。医者からは「すぐ治療にとりかかるべきだ」と告げられていたが、ツアーを強行した。後に左耳の聴覚が弱くなる後遺症を負ったことを公表した。その後も定期健診は受けるが、治療のための休養をとらなかった。そのため、2007年末頃には医者から「治療の術はない」と、左耳の聴覚が完全に失われ治らなくなったことを告白していた。諸騒動暴言騒動2002年1月末、インターネット掲示板を発端として、ライブ会場で「浜崎あゆみが身障者の少女を罵倒した」という動画付きの噂が流れた。新聞報道にまで拡大し[2][3][4]、公式サイトやファンHPが荒らしに遭った。avexの会長兼社長(当時)の依田巽からも声明文を発表。一方、本人の謝罪文でなかったことなどから大炎上に繋がる。しかし、後に言われたとされている少女側のコメントは公になかった[5]。雑誌「Free & Easy」とのコラボレーション雑誌『浜崎共和国』において「自分がデマを撒かれたことよりも、そのデマにファンが迷ったり辛い思いをしたのなら、その方がよっぽど辛い」とのコメントを発表している。なお、この事件の影響でこの年の『ayumi hamasaki ARENA TOUR 2002 A』ではスポンサーがつかない事態となり(浜崎のライブでスポンサーがつかなかったのはこの時のみである)、2003年1月に発売された問題の『ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2001-2002 A』のDVDはアンコールがほぼ丸ごと(ラストの「Endless Sorrow "gone with the wind ver."」以外)カットされてしまった。エイベックスお家騒動2004年7月30日、当時エイベックス専務の松浦勝人は、会長であった依田巽と経営方針が決裂し別会社を設立することを表明した[6]。その直後、浜崎自身もマスコミに対し「彼の存続と共に浜崎あゆみの行方も決めさせて頂きたいと思っております。」と歌手デビューの際に世話になり自身のプロデューサーである松浦に追従し移籍する考えを明らかにした。当時、エイベックスの事実上の代表アーティストであった浜崎の表明が決定的な打撃となり、株は暴落、株主からの抗議が殺到し、また、エイベックス社内は混乱に陥った。8月3日、浜崎の表明を大きく受け、経営陣は方向転換を余儀なくされ、松浦は執行役員として復帰(後に社長就任)し、移籍の懸念等は解消された[7]。このお家騒動を理由にこの年の日本レコード大賞など一連の賞レースを辞退し、以降賞レースからは距離を置くようになる。作品「浜崎あゆみのディスコグラフィ」を参照受賞記録音楽賞日本レコード大賞大賞 (2001年「Dearest」、2002年「Voyage」、2003年「No way to say」)日本ゴールドディスク大賞アーティスト・オブ・ザイヤー(2001年、2002年、2004年)日本有線大賞大賞(2001年、2002年)全日本有線放送大賞→ALL JAPANリクエストアワード→ベストヒット歌謡祭グランプリ(2000年、2001年、2002年〈ポップス部門〉、2003年〈ポップス部門〉)その他NHK紅白歌合戦連続出場:10回(1999年~、後述)ベストドレッサー賞(2000年)ベストジーニスト一般選出部門(2000年、2001年、2003年~2005年) 木村拓哉、草〓剛に続いて3人目、女性では初の殿堂入り。ネイルクィーン(2001年~2003年)殿堂入り。他多数。NHK紅白歌合戦出場歴出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。ライブ(イベント含む)「A」はすべてロゴ表記バックバンドメンバー(2008年11月時点)音楽監修:小林信吾ドラム:江口信夫ベース:エンリケギター:野村義男キーボード:友成好宏、宮崎裕介コーラス:濱田美和子、山崎陽子出演作品テレビayu ready?(フジテレビ)(2002年~2004年)スーパーテレビ情報最前線(日本テレビ) 「噂の歌手の正体見た浜崎あゆみ…光と影」(2000年)「浜崎あゆみ…光と影 25歳の絶望と決断」(2004年)以下、浜崎くるみ名義ツインズ教師(1993年、 テレビ朝日ドラマ)バトルスピリッツ 龍虎の拳(1993年、フジテレビ単発アニメ)ユリ・サカザキ役(声優)[11]以下、浜〓あゆみ名義未成年(1995年、 TBSドラマ)田畑瞳 役火曜サスペンス劇場「名無しの探偵シリーズ11・ガラスの少女」(1995年、日本テレビ。2008年 BS日テレで再放送)土曜ワイド劇場「少女Aの殺人・女子高校生が父に殺意を抱く時…スキャンダルが名門校を揺らす!」(1996年、テレビ朝日)高杉いずみ 役闇のパープル・アイ(1996年、テレビ朝日ドラマ)森島由佳 役土曜ワイド劇場「同居人カップルの殺人推理旅行4・嘘をつく女 熊本阿蘇~財産を狙って欲望が渦巻く」(1996年、テレビ朝日)野村舞 役きっと誰かに出会うために第9回(1996年、テレビ東京)ラジオ浜崎あゆみのオールナイトニッポン(ニッポン放送)映画すべて、浜〓あゆみ名義すももももも(1995年、パル企画)麗霆”子!! 総長最後の日(1995年、パル企画)渚のシンドバッド(1995年、東宝)学校II(1996年、松竹)湘南爆走族 帰ってきた伝説の5人(1997年、徳間ジャパンコミュニケーションズ)TVCM他。脚注^ "右手手術の浜崎あゆみ、カウントダウンライブ及びNHK紅白出場へ". オリコン (12月29日). 2009年3月30日 閲覧。^ OP編原田 (2002-02-05). "浜崎あゆみ ネット上の噂を否定". OOPSニュース. 2008年11月9日 閲覧。^ 「浜崎あゆみ 差別発言 騒動で糸井重里氏がHPで代弁」サンケイスポーツ、2002年2月14日。^ 「あゆ暴言」東京スポーツ、2002年2月25日。^ 日経BP出版センター『日経エンタテイメント!』2002年8月号。^ エイベックス株式会社 (2004-08-01). "avex group プレスリリース 当社人事に関する重要なお知らせ(速報)". 2008年11月9日 閲覧。^ エイベックス株式会社 (2004-08-03). "avex group プレスリリース 辞任取締役の復帰に関するお知らせ". 2008年11月9日 閲覧。^ 6月21日・22日公演は延期された^ この年のカウントダウンライブはツアーに含まれた。^ 8月30日、31日公演のみ出演。^ 後に発売されたDVDでは権利等の問題からか、別の声優のものと差し替えられている。外部リンクウィキメディア・コモンズには、浜崎あゆみに関連するマルチメディアがあります。ayumi hamasaki official site 公式サイトayumi hamasaki official fanclub "Team Ayu" 公式ファンクラブサイト 「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E5%B4%8E%E3%81%82%E3%82%86%E3%81%BF」より作成カテゴリ: 編集半保護中の記事 | 浜崎あゆみ | 日本の歌手 | エイベックス | 過去のサンミュージック所属者 | 障害を持つ人物 | 日本の作詞家 | 日本のアイドル | オリコン年間シングルチャート1位獲得アーティスト | NHK紅白歌合戦出演者 | 日本レコード大賞受賞者 | 日本の俳優 | 1978年生 | 福岡市出身の人物 | 存命人物浜崎 あゆみ(はまさき あゆみ、本名:濱崎 歩〈読みは同じ〉、1978年10月2日(31歳) - )は、日本の女性ポップス歌手。福岡県福岡市出身。福岡市立原中学校卒業、堀越高等学校中退。愛称は「あゆ」や「ayu」など。英語表記は「Ayumi Hamasaki」。芸能事務所・所属レコード会社はエイベックス・エンタテインメント。血液型はA型。日本で有名な女性ポップス歌手のひとりである。人物浜崎あゆみは日本の女性ポップス歌手である。歌手デビュー後のオリジナル楽曲は全て自身で作詞している。女性歌手でありながら、歌詞の中に『私(わたし、もしくはあたし)』以外に『僕(ぼく)』を多く使い、複数を指す『~達』、『~ら』が多いことが彼女の詞の特徴である。また、自身の暗い心の闇も歌詞に綴り、男女を問わず多くの若者から共感を得た。浜崎自身もCREAとして、作曲を手がけたこともあった。また、名字の「浜崎(濱崎)」の正しい読み方は「はまざき」ではなくて「はまさき」である。犬(小型犬)好きでチワワ、ダックスフントなどを飼っている。仕事場に連れてくるのはもちろん、ライブツアーのMC中にステージに登場することもあった。『タイム』誌アジア版2002年3月25日号の表紙を飾り、2007年から初の日本国外での公演(台北、香港、上海)を含むライブツアーが本格的に行われ、東アジア地域への進出も果たしている。歌手デビュー前にボイストレーニングのために渡米しているが、デビュー当時は英語は不得意だとコメントしていたため、ほとんどの歌詞は日本語であった。しかし、2002年以降は英語詞を含めた楽曲も多く発表している。2006年12月にCNNの日本特集『Japan now』期間中に放送された対談番組『Talk Asia』では、短時間ではあったが英語を披露している。影響1998年、多くの化粧品会社、製菓メーカー等とタイアップし、テレビ・雑誌等のメディアから「浜崎あゆみ」への注目度が上がった。2000年頃にはCDの売り上げ枚数がミリオンを達成することが多々あり、また多くのCMや雑誌に出演し、総合司会を務めるテレビ番組を持っていた。マスコミなどでは「女子高生のカリスマ」と呼ばれ、彼女のファッションや奇抜な行動は女子中高生を中心に多大なる影響を及ぼし、ファッションリーダーとしてネイルアート、大きなサングラス、豹柄などの流行を生み出す社会現象となった(後にベストジーニストやネイルクイーンでは殿堂入りも果たしている)。2001年秋にはアルバムの発売が延期されたとの情報で所属レコード会社エイベックスの株価が下落するなど、エイベックスの看板歌手としての側面も注目されるようになった。また、一時は同社の売り上げの4割を占めたこともあり、同社の経営体質の弱点として「あゆ依存」という言葉も生まれた。来歴~1997年 モデルから女優・アイドルへ10代前半から地元福岡のモデル事務所に所属、当時は「浜崎くるみ」の芸名で福岡中央銀行のポスターや地元商業広告に登場。その後、東京の大手芸能プロダクションサンミュージック(現・サンミュージックプロダクション)にスカウトされた(都営地下鉄浅草線浅草駅のホームに掲示されているタレント養成所の広告には、加藤晴彦とともにこの頃の写真が掲載されていた)。1993年、テレビドラマ『ツインズ教師』で女優としてデビュー。1994年、芸名を「浜〓あゆみ『崎』の異体字『〓』」に改名し、テレビドラマや映画等に出演していた。音楽バラエティ番組で歌を披露することはあったが、アイドル色が強かった。1996年末にサンミュージックとの契約が切れ、1997年、本格的に歌手を目指すことになり、ボイストレーニングのためニューヨークへ渡った。1998年~2000年 歌手デビュー 女子高生のカリスマへ1998年4月8日発売の1stシングル「poker face」で『浜崎あゆみ』としてデビュー。1999年1月1日発売の1stアルバム『A Song for ××』でオリコンチャート1位を初獲得。約150万枚を売り上げた。4月14日発売の7thシングル「LOVE ~Destiny~ / LOVE ~since1999~」でシングル初のオリコンチャート1位を獲得。8月11日発売の10thシングル『A』が初のミリオンセラーとなった。12月31日、NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。2000年4月より初めてのコンサートツアーに挑むも、左耳の疾患(内耳性突発難聴)により一部の公演を延期した。11月、全日本有線放送大賞でグランプリを受賞。以降、2001年と2002年のALL JAPANリクエストアワード、2003年のベストヒット歌謡祭でもグランプリを受賞し、4連覇を達成している。12月13日発売の19thシングル「M」では、CREAとして初めて作曲を手掛けた。12月31日に、初のカウントダウンライブを開催する。2001年~2003年 A BEST発売 レコード大賞3連覇2001年3月28日、自身初のベストアルバム『A BEST』を発売。宇多田ヒカルのアルバム『Distance』との同日発売が注目を集めた。夏には東京、大阪、名古屋、福岡の4大ドームツアーを行った。9月27日発売の24thシングル「Dearest」で日本レコード大賞受賞(以降2002年、2003年で史上初の3連覇を果たす)。また9月にはTOKIOの長瀬智也との交際が明らかになった。2002年4月24日発売の26thシングル「Free & Easy」は雑誌『Free & Easy』とコラボレーション企画であり、同時に同雑誌の別刊「浜崎共和国」を発売する。7月24日発売の27thシングル「H」が、日本のシングルCDの売り上げが全体的に低迷しはじめた2002年において唯一、オリコン・日本レコード協会のでのシングルミリオンセラーを記録した。9月26日発売の28thシングル「Voyage」に合わせて短編映画「月に沈む」(監督:行定勲)が公開。10月12日、初のレギュラー及び総合司会を務める番組「ayu ready?」がスタートした。2003年3月12日発売のバラードベスト『A BALLADS』ではファン投票により選曲された。また、5thアルバム『RAINBOW』の初回盤購入者がインターネット上のみで聴くことができたインスト楽曲に、10万人以上のメッセージを読んだ、浜崎あゆみ自身が詞をつけて完成させた「RAINBOW」が収録された。10月、シングル30枚発売記念スペシャルライブ『A museum ~30th single collection live~』が行われた。12月17日、初のミニアルバム『Memorial address』を発売する。Bonus Track以外の収録曲全てに対しプロモーションビデオが作られるなど、この頃からプロモーションビデオにも力を入れるようになった。2004年~2006年 エイベックスお家騒動 歌手業専念期2004年3月20日、総合司会を務めていた番組「ayu ready?」の放送が終了した。この頃からCM等のキャラクターの多くを降板し、歌手業に専念している。爆発的なヒットはないものの、CDの売上枚数は安定していた。7月末、エイベックスお家騒動が起こる(→諸騒動、エイベックス参照)。2006年6月21日に発売された40thシングル「BLUE BIRD」ではソロ歌手および女性ボーカルでは史上初のシングル総売上2,000万枚を達成する(総売上2,000万枚を達成しているのは他にB'z、サザンオールスターズ、Mr.Children、SMAPの4組のみ)。この年のNHK紅白歌合戦では11月29日に発売された8thアルバム『Secret』より「JEWEL」を選曲し、初めてアルバム曲を披露することになった。2007年~現在 A BEST 2発売 歌手デビュー10周年2007年2月28日、『A BEST 2 -BLACK-』『A BEST 2 WHITE-』が発売された。オリコン・チャート1位および2位を初登場で独占。この記録は女性アーティストとしては1970年の藤圭子の記録以来36年ぶりの記録であった。7月18日発売の41stシングル「glitter/fated」のDVDには香港の俳優・余文樂(ショーン・ユー)と共演したショートフィルムが収録。また、発売日直前の7月13日、長らく交際していた長瀬智也と破局した事を自身のファンクラブのブログで発表した。12月5日には、初のデジタル・ダウンロード規格のみシングル「Together When...」を発表。2008年1月4日、自身のファンクラブのブログにおいて、以前から抱えていた左耳の疾患(内耳性突発難聴)が悪化し、左耳の聴覚が失われもう治らなくなったことを告白した。4月8日にデビュー10周年記念を迎え、それを記念してシングル・コレクション・アルバム『A COMPLETE ~ALL SINGLES~』発売等、10周年記念の活動を行った。12月24日、過労による貧血で高所から落下。右手に全治3週間の重傷になり出演予定だった音楽番組の出演を急遽辞退。その後の自身のカウントダウンライブや初のトップバッターで登場するNHK紅白歌合戦の出演も危ぶまれたが、緊急手術後、医者の条件付出演を行った[1]。2009年3月25日発売の10thアルバム『NEXT LEVEL』では、日本人アーティストとしては初となるUSBメモリ形態を発売した。内耳性突発難聴2000年、初のコンサートツアーの第二幕直前に多忙なスケジュールの積み重ね等の理由によって、左耳の疾患(内耳性突発難聴)を患い、一部公演を延期した。医者からは「すぐ治療にとりかかるべきだ」と告げられていたが、ツアーを強行した。後に左耳の聴覚が弱くなる後遺症を負ったことを公表した。その後も定期健診は受けるが、治療のための休養をとらなかった。そのため、2007年末頃には医者から「治療の術はない」と、左耳の聴覚が完全に失われ治らなくなったことを告白していた。諸騒動暴言騒動2002年1月末、インターネット掲示板を発端として、ライブ会場で「浜崎あゆみが身障者の少女を罵倒した」という動画付きの噂が流れた。新聞報道にまで拡大し[2][3][4]、公式サイトやファンHPが荒らしに遭った。avexの会長兼社長(当時)の依田巽からも声明文を発表。一方、本人の謝罪文でなかったことなどから大炎上に繋がる。しかし、後に言われたとされている少女側のコメントは公になかった[5]。雑誌「Free & Easy」とのコラボレーション雑誌『浜崎共和国』において「自分がデマを撒かれたことよりも、そのデマにファンが迷ったり辛い思いをしたのなら、その方がよっぽど辛い」とのコメントを発表している。なお、この事件の影響でこの年の『ayumi hamasaki ARENA TOUR 2002 A』ではスポンサーがつかない事態となり(浜崎のライブでスポンサーがつかなかったのはこの時のみである)、2003年1月に発売された問題の『ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2001-2002 A』のDVDはアンコールがほぼ丸ごと(ラストの「Endless Sorrow "gone with the wind ver."」以外)カットされてしまった。エイベックスお家騒動2004年7月30日、当時エイベックス専務の松浦勝人は、会長であった依田巽と経営方針が決裂し別会社を設立することを表明した[6]。その直後、浜崎自身もマスコミに対し「彼の存続と共に浜崎あゆみの行方も決めさせて頂きたいと思っております。」と歌手デビューの際に世話になり自身のプロデューサーである松浦に追従し移籍する考えを明らかにした。当時、エイベックスの事実上の代表アーティストであった浜崎の表明が決定的な打撃となり、株は暴落、株主からの抗議が殺到し、また、エイベックス社内は混乱に陥った。8月3日、浜崎の表明を大きく受け、経営陣は方向転換を余儀なくされ、松浦は執行役員として復帰(後に社長就任)し、移籍の懸念等は解消された[7]。このお家騒動を理由にこの年の日本レコード大賞など一連の賞レースを辞退し、以降賞レースからは距離を置くようになる。作品「浜崎あゆみのディスコグラフィ」を参照受賞記録音楽賞日本レコード大賞大賞 (2001年「Dearest」、2002年「Voyage」、2003年「No way to say」)日本ゴールドディスク大賞アーティスト・オブ・ザイヤー(2001年、2002年、2004年)日本有線大賞大賞(2001年、2002年)全日本有線放送大賞→ALL JAPANリクエストアワード→ベストヒット歌謡祭グランプリ(2000年、2001年、2002年〈ポップス部門〉、2003年〈ポップス部門〉)その他NHK紅白歌合戦連続出場:10回(1999年~、後述)ベストドレッサー賞(2000年)ベストジーニスト一般選出部門(2000年、2001年、2003年~2005年) 木村拓哉、草〓剛に続いて3人目、女性では初の殿堂入り。ネイルクィーン(2001年~2003年)殿堂入り。他多数。NHK紅白歌合戦出場歴出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。ライブ(イベント含む)「A」はすべてロゴ表記バックバンドメンバー(2008年11月時点)音楽監修:小林信吾ドラム:江口信夫ベース:エンリケギター:野村義男キーボード:友成好宏、宮崎裕介コーラス:濱田美和子、山崎陽子出演作品テレビayu ready?(フジテレビ)(2002年~2004年)スーパーテレビ情報最前線(日本テレビ) 「噂の歌手の正体見た浜崎あゆみ…光と影」(2000年)「浜崎あゆみ…光と影 25歳の絶望と決断」(2004年)以下、浜崎くるみ名義ツインズ教師(1993年、 テレビ朝日ドラマ)バトルスピリッツ 龍虎の拳(1993年、フジテレビ単発アニメ)ユリ・サカザキ役(声優)[11]以下、浜〓あゆみ名義未成年(1995年、 TBSドラマ)田畑瞳 役火曜サスペンス劇場「名無しの探偵シリーズ11・ガラスの少女」(1995年、日本テレビ。2008年 BS日テレで再放送)土曜ワイド劇場「少女Aの殺人・女子高校生が父に殺意を抱く時…スキャンダルが名門校を揺らす!」(1996年、テレビ朝日)高杉いずみ 役闇のパープル・アイ(1996年、テレビ朝日ドラマ)森島由佳 役土曜ワイド劇場「同居人カップルの殺人推理旅行4・嘘をつく女 熊本阿蘇~財産を狙って欲望が渦巻く」(1996年、テレビ朝日)野村舞 役きっと誰かに出会うために第9回(1996年、テレビ東京)ラジオ浜崎あゆみのオールナイトニッポン(ニッポン放送)映画すべて、浜〓あゆみ名義すももももも(1995年、パル企画)麗霆”子!! 総長最後の日(1995年、パル企画)渚のシンドバッド(1995年、東宝)学校II(1996年、松竹)湘南爆走族 帰ってきた伝説の5人(1997年、徳間ジャパンコミュニケーションズ)TVCM他。脚注^ "右手手術の浜崎あゆみ、カウントダウンライブ及びNHK紅白出場へ". オリコン (12月29日). 2009年3月30日 閲覧。^ OP編原田 (2002-02-05). "浜崎あゆみ ネット上の噂を否定". OOPSニュース. 2008年11月9日 閲覧。^ 「浜崎あゆみ 差別発言 騒動で糸井重里氏がHPで代弁」サンケイスポーツ、2002年2月14日。^ 「あゆ暴言」東京スポーツ、2002年2月25日。^ 日経BP出版センター『日経エンタテイメント!』2002年8月号。^ エイベックス株式会社 (2004-08-01). "avex group プレスリリース 当社人事に関する重要なお知らせ(速報)". 2008年11月9日 閲覧。^ エイベックス株式会社 (2004-08-03). "avex group プレスリリース 辞任取締役の復帰に関するお知らせ". 2008年11月9日 閲覧。^ 6月21日・22日公演は延期された^ この年のカウントダウンライブはツアーに含まれた。^ 8月30日、31日公演のみ出演。^ 後に発売されたDVDでは権利等の問題からか、別の声優のものと差し替えられている。外部リンクウィキメディア・コモンズには、浜崎あゆみに関連するマルチメディアがあります。ayumi hamasaki official site 公式サイトayumi hamasaki official fanclub "Team Ayu" 公式ファンクラブサイト 「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E5%B4%8E%E3%81%82%E3%82%86%E3%81%BF」より作成カテゴリ: 編集半保護中の記事 | 浜崎あゆみ | 日本の歌手 | エイベックス | 過去のサンミュージック所属者 | 障害を持つ人物 | 日本の作詞家 | 日本のアイドル | オリコン年間シングルチャート1位獲得アーティスト | NHK紅白歌合戦出演者 | 日本レコード大賞受賞者 | 日本の俳優 | 1978年生 | 福岡市出身の人物 | 存命人物

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草野大悟

草野大悟(くさのだいご、1939年9月7日-1991年2月27日)は、日本の俳優。台湾・台現金化口コミ市出身。妻は女優の田島和子。目次1来歴・人物2出演作品2.1演劇2.2映画2.3テレビドラマ2.4ラジオドラマ3著書4その他(インタビューやエッセイ含む)[編集]来歴・人物鹿児島県で幼少期を過ごし、1958年に明治大学に入学するが、すぐに中退。1961年、文学座附属演劇研究所に入所。同期に岸田森、樹木希林、小川クレジットカード現金化 比較、寺田農、橋爪功、北村総一朗らがいた。翌年に準座員として文学座に入団、1966年に座員へと昇格する。1967年に文学座を退団し、その前年に草野に先駆けて文学座を離れていた岸田らが結成していた「六月劇場」に参加、以降は映画・テレビドラマへの出演も多くなる。舞台を中心に活躍する傍ら、岡本競馬情報、新藤兼人両監督の映画作品に常連として数多く出演。また、勝新太郎との親交も深かったことから、勝プロ製作のテレビ・映画にも頻繁に登場した。私生活でも大の親友だった岸田や、六月劇場の後輩・松田優作との共演も多数ある。また、思わず聞き惚れてしまうほどの美声の持ち主で、ラジオドラマやナレーション、朗読劇などでも活躍した。小山田宗徳に声が似ていたため、間違われることもあったという。ショッピング枠現金化の情報の特撮映画『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年)では、猿人風宇宙人を怪演。宇宙人を猿人キャラにしたことについては、同作の特技監督である中野昭慶が、「配役が草野さんということで、自然とそうなっちゃったんですよ」とコメントしている。1991年2月24日、TBSラジオ『ラジオ図書館』の収録中に意識を失い、緊急入院。2月27日、脳内出血のため急逝。51歳没。[編集]出演作品[編集]演劇文学座時代ジュリアス・シーザー(1961年)光明皇后(1962年)唖しのユミュリュス(1962年)綾の鼓(1962年)ジークフリート(1962年)守銭奴(1962年)日本の孤島(1963年)トスカ(1963年)調理場(1963年)クレジットカード現金化(1963年)マリアのお告げ(1964年)三人姉妹(1964年)霊柩車とともに(1964年)無害の毒薬(1965年)怒りをこめてふり返れ(1965年)おりき(1965年)山壁(1966年)犀(1966年)振り向かない男(1966年)その他魂へキックオフ(1967年、六月劇場)夏(1968年、アンダーグランド演劇公演)かれら自身の黄金都市(1968年、六月劇場)夜うつ太鼓(1968年、六月劇場)阿賀野雅野(1969年、アンダーグランド演劇公演)海賊(1969年、六月劇場)バーディーバーディー(1970年、演劇センター)翼を燃やす、天使たちの舞踏(1970年、演劇センター)終盤戦-勝負の終り(1971年)翼を燃やす、天使たちの舞踏(1971年、演劇センター)狼少女(1971年)さらば滅亡の町よ(1973年)新・大晴天(1974年、自動座)盟三五大切(1976年、結城人形座)もっと泣いてよフラッパー(1978年、オンシアター自由劇場)毒薬と老嬢(1978年)ステージ・ドア(1979年)毒薬と老嬢(1979年)バースディ・パーティ(1980年)情婦-検察側の証人(1980年、スタジオ・ターボ)バーレスク1931(1981年、スタジオ・ターボ)花吹雪二人櫻(1981年)戯曲冒険小説(1981年)ねずみとり(1982年)刺殺遊戯(1982年)イカルガの祭り(1983年)オズの魔法使い(1983年)グレイクリスマス(1983年)タランチュラ(1984年)のすかいおらん(1984年)くたばれヤンキース(1985年)パチンコ攻略十郎と音次郎(1986年)涎れの天使(1986年)顧問弁護士(1986年)イェルマ(1988年)丘の上のハムレットの馬鹿(1988年)ハムレット(1989年)闇市愚連隊(1989年)流浪伝説(1990年)夏の盛り

マリオシリーズ

マリオシリーズジャンルアクションゲームパズルゲームスポーツゲームレースゲームアクションRPGパーティーゲーム開発元任天堂インテリジェントシステムズトーセゲームフリークパックス・ソフトニカエイプジュピタースクウェアクリーチャーズ2ショットチャットエレクトロンデバイスハドソンSoftwareCreationsHoldingsキャメロットアルファドリームFuseGamesNintendoSoftwareTechnologyコナミナムコエレクトロニック・アーツNextLevelGamesスクウェア・エニックスセガアリカ発売元任天堂主な製作者宮本茂手塚卓志近藤浩治1作目ドンキーコング(1981年7月)最新作NewスーパーマリオブラザーズWii(2009年12月3日)現金化口コミ作品スーパーマリオヨッシーアイランドスーパーマリオランド3ワリオランドルイージマンションスーパープリンセスピーチ 表・話・編・歴 マリオシリーズ(Marioseries)とは、任天堂から発売されている、同社のキャラクター「マリオ」、およびその仲間が登場するコンピュータゲームのシリーズである。その中でスーパーマリオブラザーズを源流としたアクションゲームシリーズを特にスーパーマリオシリーズという。世界累計で2億4000万本以上を販売しており、2位であるポケットモンスターシリーズの1億9000万本以上を大きく引き離し、世界で最も成功したゲームキャラクターフランチャイズとなっている。目次1概要2認知と評価2.1音楽界への影響3主な登場キャラクター3.1主要キャラクター3.2独立した派生シリーズを持つキャラクター3.3その他のキャラクター(パーティ系が主体)4シリーズ紹介4.1アクションゲーム4.1.1スーパーマリオシリーズ4.1.2マリオランドシリーズ4.1.3リメイク4.1.4その他4.2アクションパズル4.2.1レッキングクルーシリーズ4.2.2Dr.マリオシリーズ4.2.3マリオvs.ドンキーコングシリーズ4.2.4その他4.3アクションRPG4.4パーティーゲーム4.4.1競馬情報パーティシリーズ4.4.2その他4.5パズルゲーム4.6スポーツゲーム4.6.1ゴルフ4.6.2テニス4.6.3サッカー4.6.4野球4.6.5オリンピック4.6.6バスケットボール4.6.7スノーボード4.7レースゲーム4.8その他のゲーム5コラボレーション6世界観6.1同一世界と設定されている作品6.2矛盾している作品7映像作品7.1映画7.2ビデオ8関連項目9脚注10外部リンク[編集]概要現在も続くコンピュータゲームのシリーズとしては最古の一つである。販売本数、作品数も世界一。また、これらに登場するキャラクターを使用した派生作品が多くあり、スポーツゲーム、ボードゲーム、ロールプレイングなど幅広いジャンルのゲームが出ている。シリーズ第1作は、1981年にアーケードゲームとして稼動した『ドンキーコング』である(後にファミコンに移植される)。この後、同作品の主人公マリオが活躍するゲームが多く発売されてゆく。中でも、1985年に発売されたスーパーマリオシリーズの第一作である『スーパーマリオブラザーズ』は社会現象を巻き起こすとともに、これ以降主流になる横スクロールアクションゲームの基礎を築き、これ以降発売されるゲームに多大な影響を与えた。1996年に発売された『スーパーマリオ64』は3Dアクションゲームの基礎を築き、これもまた発売以後多くの3Dアクションゲームに多大な影響を与えた。制作の中心となった宮本茂は、「(同じく自分が手掛けるゼルダの伝説シリーズは)マリオシリーズと本質は同一のものだと個人的には思っている」と度々語っており、アクション要素が強いのが政治問題から何から何までシリーズで、反対に謎解き要素が強いのがゼルダシリーズと、どちらに重きを置いて

不況で不倫望む金融関係者が増加=英出会い系サイト

 [ロンドン 1日 ロイター] 景気後退の影響で、公私にわたり厳しい立場に置かれている金融関係者らが、不倫に慰めを求めているという。既婚者向けの英出会い系サイト「IllicitEncounters.com」が明らかにした。

 それによると、昨年の金融危機以降、金融関係者として同サイトに登録する人の数は大幅に増えており、英国の約38万人の登録者のうち、2万人以上を占める。

 同社は、男女の金融関係者600人以上を対象に、不倫をする理由についても調査しており、世間が金融関係者に向ける嫌悪と私生活での愛情の欠如が理由と答えた人が最も多かったという。

 不倫をする理由のトップ10は、以下の通り。

1.愛されていると感じるため

2.スリルを味わうため

3.不安定な家庭生活

4・退屈さを紛らすため

5・自尊心を高めるため

6.多額の費用がかかる離婚はできないから

7・誰かをかわいがりたいから

8・その資格があると感じるため

9・可能だったから/チャンスがあったから

10.仲間からの圧力

軽くうつっぽくて外出するのがこわい。そんな男子のお守りに手作り「アロマ・バーム」



photo by Lan Bui

「心が弱った男子が買い求めるアロマ・オイル」の話題を先日ご紹介しましたが、今回は「軽くうつっぽくて外出するのがこわい。」という男子にプレゼントしたところお守りとしてとても効果を発揮したアロマ・バームのご紹介です。

レシピは植物オイルの研究者さんが教えてくださったものです。

アロマ・バームの使用方法はとても簡単。

外出するときに家の玄関で鼻の下にちょんちょんと塗って深呼吸するだけ。

外出先で急に気持ちが落ち込んだ時にもちょんちょんと塗ってオッケー。深くダイレクトに鼻腔を通じて浸透するアロマのちからが彼のことを守ってくれるようですよ。



■用意するもの

・植物オイル(ヘンプ・ホホバなどの)/10mL
・ミツロウ/2?3g
・精油/15?17滴(内訳:ベンゾイン3滴、フラキンセンス3滴、イランイラン3滴、ベルガモット6滴、ネロリ2滴)


作り方は以下に続きます。
 


■作り方

(1)ミツロウを湯せんや電子レンジで溶かす
(2)ミツロウが溶けたら人肌くらいにあたためた植物オイルを少しづつ入れかき混ぜる
(3)(2)を耐熱容器(クリーム容器)に入れる
(4)精油を全て入れ、よく混ぜ合わせる



■上記以外にうつっぽい気分の時に効果的な精油

サンダルウッド、ローズウッド、マージョラム、ベチバー、グレープフルーツ、オレンジ、ラベンダー


植物の香りが人間にもたらす恩恵はとても身近でありながら深いものなのかもしれないですね。心が弱った男子を巡るアロマ関連の記事を書いていてそんなことを思いました。

アロマの手作りのお守りをもっと知りたい方は、こちらの本『アロマお守り手帳ーストレスに効く。恋に効く。』(主婦の友社/著:高原千芙美)がなかなか素敵レシピ満載でいいですよ?。


(まりこ)

【関連記事】・心が弱った男子ほど「香り」に敏感? 薬草男子が求めるアロマオイル
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